SAKANAMON 『浮遊ギミック』買って聴いてる。いやー好きだな。すべてが曲のグルーヴに奉仕している。ライブ見てみたい/『日常』終わっちまった。どうすりゃいい/『輪るピングドラム』怖すぎ。この問題は、解き明かすことなどできるのか。巨大な資金と科学力(クローン?)を持つピングループが再び動き出す(名前とかマークが変わってる?)。運命を変えた事件から16年経った今。村上春樹への言及とかも、どうかしてる/『仮面ライダーフォーゼ』おいしい展開だなぁ。こういうのを求めてたわけですよ/都市の固有性とはなんなのか。それが「消費」であるなら、最終的には交換可能ということになってしまう(何時でもどんな場所でも、再現可能・復元可能である。ショッピングモールのヴィレバン)。ではここで一種の回答として、「移動」、ある地点からある地点への「運動」、およびそれらを誘発する「地形」だと考えてみる。決してそれは、「消費」に導かれたものではない。あくまで、消費から逸脱したもの(それは主体的でも客体的でもどちらでも構わないが)と、それを頼りに都市を「徘徊」する行為が、固有性として認識されなければならないのでは。しかしこうした固有性が必要である訳があるのかどうか。こうした問いを提示すること自体が、「消費」に取り込まれているのか。理由などいらず、ただ、逸脱したものが存在し、徘徊が可能であるということが大切。 これには、時間も深く影響していて、例えば、ある再開発が行われ、それ以前から街に関わっていた人々には不可能でも、以降に現れる人々は、そこで新たな逸脱を発見する(見出だす)かもしれない。それがある種パワーダウンしている、という評価をくだすのは、ただの「今の若いもんは…」論のようで鼻白む。しかし一方で、魅力的な逸脱や徘徊を、残さなければならないという発想も理解できる。今の否定ではなく、過去の賞揚でもない、都市への思い、があれば良いのにと思う/ナボコフ『カメラ・オブスクーラ』読んでる。こういう皮肉と冷笑の人物を描かせればナボコフの右に出るものなし/