ディーン・デヴリン『ジオストーム』


こういう作品を自分としては「ウェルメイド」と言いたい。"よいもの"でした。
別にそう思ってる人がいてもいいんだけど今作はエメリッヒではないと思うし、そもそも、なんていうんですか?バカ映画(こういう言葉大嫌いだけど)とするのマジで全然違うと思う。
エメリッヒ作品には、連鎖的に起こり続ける「破壊」「崩壊」の出来事の現場に登場人物を居合わせさせて、そこからの逃走を繰り返すことでストーリーを進行させ、それが解決とほぼイコールになるシンプルさがあるんだけど、『ジオストーム』は出来事と人物の間にギミックをかませてきちんと構造化してる。そして、終盤に並行して起こる複数のスペクタクルも、目的を多層化させている(逃走する、解決する対象も複数になっている)。物語自体も異変・事件から直接始まらず、きちんと「裁判」(正確には「査問会」ですが)という出来事を間接的・事後的にしか扱えないもから始まるのちゃんとしてます。
ある兄弟のやり取りとそこで用いられる(かつての思い出、過去の象徴としての)暗号の扱い(ラストも含めて)の手さばきにはしびれたし(きちんと「陰謀好き」な「男の子」を皮肉ってもいる)、終盤のアンディ・ガルシア演じる(ってのがまず最高なんだけど)合衆国大統領とエド・ハリス演じる国務長官の短いやり取りのセリフも非常に簡潔ながらきちんと内容の詰まった整えられたものですばらしかった。