マーティン・マクドナー『スリー・ビルボード』


最っっっっ高のヤバ映画。ビルボード=広告("Billboard lady"という鮮烈なイメージのフレーズ!)も、そこから、広告屋、契約、契約金、法律、放送と報道、そして警察、と数珠繋ぎに溢れ出てきてとまらないモチーフが、ピンチョンを思わせる。そうなるとさながら"Mason & Dixon"ならぬ"Mildred & Dixon"といったところだろうか。そうなると、「3枚の看板で世間へ波紋を投げかける」「看板を見せつける」みたいな行為自体がそもそも映画じゃなくて小説みがある。そして印象に残るのは看板の表(visual)よりむしろ裏面(literal)?


ある一つの暴力が発露される。全ての始まりとしての、罰せられない暴力。それによって人が傷つけられる。ではそれ対する「報復」は、その暴力を生み出した存在へと為されるかと言えばそうでなく、それとは別の代替物に対して為されることになる。
そして、目には目を、歯に歯を、炎には炎を、憎しみには憎しみを……いやちょっと待て、そうじゃない、"愛"なんだ!という、「曲がりくねった直球」の物語。
これ、つまりビリヤードってことだと思うんですよ。暴力の球つき、突かれた球は別の球にぶつかり……。

誤解を恐れず言うなら本作を斬新な展開とか言うの的外れだと思う。1台のワゴンが田舎道に差し掛かり、運転手がガラス越しに視線を外に投げかける、その冒頭シーンはかつて何度も見たことがあるはずだし、作中人物が劇的な行動に出る前には必ずワン「クッション」が作られてる(これもビリヤードですね。無理やりですが)。
しかしそうして、「停滞」と「連鎖」が続いていくうちに、いつの間にか、途方もなく、とんでもない遠くまで連れていかれ、膨大な時間が経過したように感じられる。

印象に残るのは、ピーター・ディンクレイジの色男・伊達男っぷり。そしてサム・ロックウェル(祝オスカー!)演じるディクスンの恐るべきナイーブさ(巡査部長に慰められてる時のあの泣きじゃくる姿、そしてのちの署長の手紙のある一節……)。