スティーヴン・スピルバーグ『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』

最初のシーン、絶対にこうで始まるだろうなというシーンで始まるのでうれしく、それがわかった私は実質スピルバーグじゃないでしょうか(違う)。
そして、最後にはこれ。


さまざまな女性による「代弁」「代読」行為が全編を通して描かれる。そこで語られ読まれる内容の力強さ、鮮やかさよ。
それは彼女達の無力さの表現なんかでは無論ない。今作の男性は自分の話・自分の事情ばかりを語るが、女性は相手の気持ち・他人の話を語ることができるのだ。男は男にしかなれないし自分でしかいられないが、女は男にも女にもなれるし自分にも他人にもなれる、ので映画的なのは断然女である、ということ。
さらに、編集部と食事の席、ベンの家(臨時編集室)とパーティー会場、のカットバックとそれらの間の往還が鮮やかに描写され、その建物の間を息急き切って右往左往する人々、「修正」の名を持つ法律の登場、女性の扱い方、終盤の現実の事件への接続の仕方(あの終わり方はさすがに超絶かっこよすぎて、声に出して「うそだろ…」って言ってしまった)…と考えて、今作は『リンカーン』の続編・二部作だと気づいた次第。

ともかくボブ・オデンカークが出るシーンは全てよく、多分めちゃ良い役にしてあげてる感がすごい。バグディキアンが、情報源について絞り出すように答えた後、彼からどんどん離れていくカメラワーク、マジでうわっ!となったし、彼がデスクに座って、社屋地下の輪転機が動き出したのを振動で感じる(『ジュラシック・パーク』のあれ!)シーン、最高すぎて泣いた。
そして、バグディキアンの顔が艶めいた公衆電話の表面に映り込んでからの、文書を受け取りにモーテルへ向かう少し傾いだカットを見た瞬間、マジで興奮が頂点に達したの、映画の魔だな〜と思いました。
で、このシーンについてなんでこう感じたんだろうと考えた時に、もしかしてこれより前は全てカットでいいと感じたからじゃないかと思った。つまり、マクマナラ文書を入手するところからスタートでよい、タイムズとポストの戦いとかいらないってことかなと……それ言ったら元も子もないのですが。
ただもちろん、なぜ入手より前から描いたのか(あのシーンから映画を始めなければいけなかったのか)はわかるわけです。つまり、「原因」から始める、ということかなと。
今作もこれなんですよね……。


なお、追記として。