ダン・ギルロイ『ローマンという名の男 ー信念の行方ー』

主人公ローマンの、記憶力や集中力が高く、空気が読めず自分の考えに固執して我慢できず思いついたことを口にしてしまう、時に自身の周囲の会話がまるでフィルターかかったように聞き取りづらくなってしまう(と思われる演出がある、比喩としても取れるけど)という姿、完全にある種の症例ではないか?と思ってしまってつらかった。

裁判所に入る際のX線の荷物検査で、愛用のiPod classicが、前にX線でダメになってしまった、ギル・スコット・ヘロンのアルバム1枚がまるまる低音がおかしくなった、みたいな、完全なる根拠のないいちゃもんを言う。他のシーンでも、その場になじまない、自分だけの理屈みたいなことを述べる。その時他者は「苦笑」し、変わり者(freak)だと嘲る。

そもそも彼は、一人でいる時は必ずヘッドホンをつけ、話しかけられてもすぐに反応ができない。自宅では、何度も抗議するが止まることのない、近くの工事現場の音をかき消すようにレコードをかける。iPod classicが、そして音楽が、この映画では、他者と自分を隔絶し、ある種のチャイルディッシュさ、無力さを表すアイテムとして登場している。『ザ・ウォーカー』で、過去の文化を愛で、その良さを理解していることの象徴としてぼろぼろのiPod classicが使われていたのとはまるで違う。ちなみにその時の主人公イーライがビーツのヘッドホンで聴いていたのはアル・グリーンだ。ローマンが聴くのも、過去の優れた黒人のミュージシャンが作った曲のはずなのだが(ちなみにこの映画、当初のタイトルは『Inner City』だったらしい)。

しかし、ヘッドホンをつけている彼に話しかけて、それを取らせて話をしようとする人間が現れる。彼らは、観点は違えど、ローマンの能力を評価して生かそうとする。だがそれは結局、彼を、かつて足を踏み入れていなかった領域へといざない、過去の蓄積を捨てさせることになるという、不幸で皮肉で逆説的な展開を迎える。そういう主人公を弁護士だとして、裁判や、犯罪や、法律にまつわる話題を通して描くのは、つくづくアメリカ的だと思う。

デンゼル・ワシントンが、『フェンス』、今作、『イコライザー2』で、自分の世界を持ちそれゆえに外界とずれていく人物を演じているのはなにやら示唆的だ。そして彼らはそれぞれ異なった形でアメリカを表象している(『マグニフィセント・セブン』のチザムも、その文脈を用いるとまた違った見方ができるかもしれない)。