M・ナイト・シャマラン『ミスター・ガラス』

泣いた……これはもうほんとに「シャマ泣き」です(?)。この作品に関わらず、長ければ長いほどスムーズにいかず、一手一手で引っかかっているような奇妙さのあるシャマランの格闘シーンになる終盤は、普通にずっと泣いていた。それはもう、ここまでたどり着いた、その道行を思って、だけど。そして、エンドクレジットが始まり、この映画の真のタイトルが明らかになる瞬間に猛烈に感動した。その3つの単語(タイトル)は、一列に並ぶのではなく、おそらく3つが並列になる。そしてあるキャストの表記ににっこりと微笑んだ。

ちなみに、今回のオープニングクレジット、今までのシャマランの映画の中で一番かっこいいです。そして、そこからの冒頭、人物が部屋の中に入ってくるのを部屋の中からとらえているカットで、その入り口がやたらと大きくて、まるでその人物のサイズが縮んでしまっているようにも、部屋が巨大化しているように見えた。こういう、偶然と狙いが入り混じり、作品の中で奇妙な異物のように存在する画から映画が始まってくれると、一気にひきつけられるのでありがたい。

また、『ヴィジット』あたりから、過去作とは違った風にちょっと半端ないほど構図がキマっているシャマラン作品。今回のカメラマンは『スプリット』、そしてデヴィッド・ロバート・ミッチェル(!)と組んでるマイケル・ジオラキス(imdbによると、なんとジョーダン・ピール『Us』もそうらしい!)。特に、精神病院の周囲、ほとんど無人の風景をとらえた、何気なく使われてる3カットほどの画が異様にすばらしい。あとは、以前シャマランが作ったマスターカードのCMを思わせるシーンがあってめっちゃテンションあがってしまった。


M. Night Shyamalan's "Time to Dream" - American Express

(矮小化するような、「悪しき」)解釈には(力をより強大にする、開放的な)解釈を。秘匿するな、全てを詳らかにせよ。そんな強いメッセージを受け取った。

ただ、『スプリット』の時に宿題として残していた(http://niwashigoto.hatenablog.com/entry/20170512/p1)《現実vs虚構→現実が勝ち》という構図に対して、今作がつけた落とし前は、少なくともこれまでのシャマランのような、《虚構=フィクションによる救済》ということにはなっていなかったように思う。これは今後も考えなくてはいけないことだけど、今の時点ではとりあえず、現実も虚構もどちらも壮大な「フィクション」であって、どちらの「フィクション」の肩を持つか、ということなのかな、と思っている。

なお、『ヴィジット』ではタイラー・ザ・クリエイター、『スプリット』ではカニエを(名前だけ)登場させたわけですが、今作ではドレイクです(しかもまた曲流さない!)。