デイミアン・チャゼル『ファースト・マン』

近年の宇宙(を舞台にしている)映画は基本的には(まだ実現していないものも含めた)先端技術によって完璧に構築され保護された空間が登場する(そしてその範疇外の出来事・存在によって破壊される、というストーリーが待ち構えているわけだが)が、この作品の冒頭、アームストロングが乗り込む航空機の内部は、そうした空間に慣れた目からすると、飛行の衝撃でカタカタ音を鳴らして震える内壁や外れるかもと思わせるネジなど、全く安心できるものではない。

そうした、決して快適でも安全でもない密室に閉じ込められる息苦しさから始まるこの映画は、明らかに楽天的、楽観的な思想(なんとかなる、結局はうまくいく)がベースにない。そういう意味で"愛国的"ではない。加えて、アメリカ的ではない、とも言えるが、一方で、コンフリクトを起こすこと自体もまたアメリカなので、そこは難しいところだけれど。だから、個人的には、寡黙な男、アームストロング(映画開始からなかなか喋らない、喋る他人を黙らせる)よりも、余計なこと言いつづけるオルドリンの方が好みだったのは、後者のアメリカ性の強さのせい、かもしれない。

だから中心となるのは「成功」自体ではなく、それに至る過程だ。執拗に描かれるのはアポロ11号の内部、ではなくてそれ以前の「失敗」、不安定さで、オルドリンとコリンズ、ではなくて彼らより前にヒューストンから去った人々、その「去り方」を見せる。

そして、作品を見終わり最終的に、扱う対象の素晴らしさを描きそれを観客に見せる・伝える、という気も全くない。それに加えて、徹底的に不安を煽り、疲労感を募らせる。ただそれはチャゼルがいつもやっていることだけど……。

そういう意味で、今作は、チャゼルの「◯◯の映画だと思ったらそうじゃなかった」映画3部作の完結編なのかもしれない(……完結編?)。