ロブ・レターマン『名探偵ピカチュウ』

全き、極めてパーソナルで、ドメスティックで、普遍的でないことが、ポケモンと接する自分の中に潜んでいて、それを除くこと、除いて語ることなどできはしないだろう。

そういった記憶や思いを抜きにすることができない人間としては、今から20年以上前、家の近所の公園の横のローソンの駐車場、夏の日差しに照らされながら、友人たちとゲームボーイに向かい合って、初期ロットの緑のバグり技でミュウを出した…そんな思い出が、見ながら頭を駆け巡ってしまうエンドロールだけで2京点ということです。

 

作中のエピソードによって、この映画は、たとえどんなにリアルで、本物と見分けがつかないものだとしても、それが真実と等しいものである、とは限らない、というテーゼを示している。それがこの映画そのものに対するアンチテーゼになってしまっているわけだが。

そしてこの映画のミュウツーの行為は、もはや神(≒製作者)から人間(≒キャラクター)への介入、といった風ですらあって、だから、人間には彼の仕掛けと、それが後々にどんな事態を引き起こすのか、予想も理解できない。