ジョエル・エドガートン『ある少年の告白』

他の俳優よりも、監督本人が演じるキャラクターが登場した瞬間から映画が引き締まるという事態。

映画の中で、秘められること、詳らかに、露にされないことを扱うと、必然的に、それにまつわる言葉や動作といった、ある程度、同じ場に居合わせる人物たちの間で共有できるアイテムは、大っぴらに使うことができない。

そして、ある場面で、秘匿されるものの存在を示唆し、観客と、一部の限られた登場人物に知らせるために、使用するものとして、人物の視線、が存在する。

なので、映画において、隠されるものとしての同性愛を描くと、視線劇にならざるをえないということだろう。

本作には、まさに、視線について、はっきり言及する登場人物もいるので、特にその点に意識的だと思う。一方が他方を見つめることの、ある種の誘因性、それが転じるものとしての攻撃性。

ザ・ギフト』をふまえると、今作ももしかして反出生主義なのか?もちろん単にそう、というより、複雑に入り組んでいる。葬儀のモチーフ、まるで集団リンチのような状況など、やはり何かとんでもなく禍々しいことが起こっているのは確かだ。