川崎拓也・平牧和彦『東京喰種 トーキョーグール【S】』

登場人物たちの武器としての肉体=器官(「赫子」)から爆ぜる赤い火花や肉片、戦いの中で飛び散る血飛沫が、終盤のあるカットで、高層ビル群の無数の赤色灯に重なる。

ここにおいて(両者の「きれい」さが画の中で通じ合うことで)、喰種たち自身、そして死なない彼らの血みどろで終わりのない戦闘が、都市と一体化していることが示される。

つまり、喰種という存在は、都市でしか生きることができない、という意味をそのままあらわしてもいる(まさにタイトル通りだ)。

まず、引きの画で、その場面の広さと、奥行きのある空間をきっちり確実にとらえることを忘れない。そこで提示される、都市の(日常)風景、の現実味がスクリーンで見られること、がまず魅力的だ。

その後の、登場人物たちのカット、個別のアップショットなどが、まさに、ちょうどよい長さになっていると感じる(これも感覚的なものでしかないのだけど)。

その無駄に長くないカットのおかげもあるのだろう、例えば人物のカットバックが、ただの会話のリレーをこなすためだけに見えずに、キャラクターの描写、彼らのその時の感情がおしつけがましくなく適度にこちらに伝わるような見せ方になって、その画が、これまた心地よいテンポで編集され繋がっている。

おそらく手持ちのカメラで撮られているからこその微細な画の揺れも、リアリティのある質感に好影響を与えている(喫茶店あんていくの外観をサッと撮っただけのようなカットなど)。

なので、ともかくまず、一見なんてことのないシーンが魅力的(例えば、大学にやってきた月山とカネキの、外にあるテーブルでの会話シーンにおける、両者の姿の見せ方のバランスの妙)であり、そしてその上で、無論アクションシーンも素晴らしい。

コスト的な問題もあるのかもしれないが、とにかくタイトにまとめられている。だが、そこでの見せ方にも工夫を感じられるので、不足を感じない。それは、有機物・無機物の質感の混合がおもしろいCGや、いい意味で漫画的なキメの画、ところどころスローの使い方も、多少過剰ではあれど、それでもきちんとして筋の通ったセンスが存在しているということだ。

(例えばこのインタビューで言及されている、『ロスト・イン・トランスレーション』や『アメリカン・サイコ』といった作品の「わかる」感)

animageplus.jp

この作品の2人の監督がもともとCMを撮っていたことに、必要以上にひきつけることはないにせよ、まずCMというものが、何よりも、15秒ないし30秒という短い尺で、固められたフォーマットで、きっちりとまとめて、見せるべきものを見せるという「形式」によって規定されているものであり、そして、その考え方は、長編の映画においても有用であるということをふまえて、今作は作られているのではないか。

www.creators-station.jp

(ここでも監督の、記述していることとは少しずれてはいるが、《縛りがある方が面白い》という発言がある)

過度に「映像派」的になることや、長編映画を撮るという機会でこれ幸いとばかりに、冗長で入り組んだ映像を構成すること、だけが、CM出身の映画監督としての振る舞いではない、ということ、だと思う。