今回は、雑に言えば色々あったので、新作と旧作が混ざっている。2020年に見た映画くらいの縛り。あと、ようやくではあるけどちゃんと見始めたのでやたらとNetflixが多くなった、というかほぼそれ。それならいっそ全部Netflixにすればいいという気もしてきたけど、それもできない中途半端さよ。
10. ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』(2019)
不可逆であることの恐ろしさ。というかこの世のものはすべからくそうですね。つまりこの世界の恐ろしさ、ということか。
9. エミリオ・エステベス『パブリック 図書館の奇跡』(2020)
公共とは何かについての映画、ってタイトルまんま。人間には皆過去があり、抱える事情がある。それらを不問にして居場所として開かれているのが公共、とそんな簡単なものじゃない、と言いつつ、この映画の最後の展開のような、「アメリカ映画」そのもののような奇跡の可能性があると信じたい……。
8. マイケル・ドハティ『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)
確かにどいつもこいつもバグってて、こいつは便利に使われるだけの人間かよみたいなキャラクターもいましたけど、まぁ総じてこんなもんじゃないですか?とか言ったらそれまでなんだけど。シンゴジ云々言ってもしょうがないし、はっきり言うけどシンゴジよりこっちの方が好きですよ。タイタンたちの身体の動きのフェティシズムのすさまじさにマイケル・ドハティやるじゃんと思いました。それにしても、モンスターバースの監督セレクト、ギャレス・エドワーズにジョーダン・ヴォート=ロバーツにアダム・ウィンガードってかなり粒ぞろいでセンス感じる。
7. アン・リー『ジェミニマン』(2019)
本作につきまとう薄気味悪さの理由はなんだろう。冒頭のカット、おそらくその効果を強めるために選ばれたに違いない、規則性を持ったデザインの駅舎であるベルギーのリエージュ=ギユマン駅という場所のカットからすぐわかるハイフレームレートの違和感のせいか。いや、そうではなくて、作品に通奏低音のごとく宿る、突拍子もない奇妙さを持つ父権的モチーフのせいなのかもしれない。しかしそのモチーフこそが感動させもする、という不思議さ。
6. ジェームズ・マンゴールド『フォードvsフェラーリ』(2020)
本作を思い起こすと、冒頭の、暗闇のサーキットが目に浮かび、即感動が呼び起こされる。そして映画館にエグゾーストノイズが流れてしまうと、たとえ車に執着していなくて知識もないとしても、否応もなく興奮して涙してしまうのはなぜだろう。それが映画だから、ということなのか……。『ラッシュ/プライドと友情』という大傑作だけどよくわからない邦題があったがまさしく本作は「プライドと友情」の物語だと言えるかもしれない。"紅茶"映画としても最良の成果。
5. ラース・フォン・トリアー『ハウス・ジャック・ビルト』(2019)
これを褒めていいのか、と言われると正直判断できない、し、だったらまぁやめるべきなんだろうけど、見始めてすぐトリアーの本気と実力がわかってしまうからどうしようもない、という気もしてしまう。偉大な過去のアートを馬鹿にしてるのか崇拝してるのか、多分その両方。そして自分の映画もその両方の扱いを受けてほしいという願望。無視する一方で注視すべき、というメッセージが伝わってきてひたすらに混乱するという。
4. クレイグ・ブリュワー『ルディ・レイ・ムーア』(2019)
これもまた"v. United States"の映画。ひたすらに力強い自分の欲求に従って、手持ちのカードをなんとかかき集めるが如き方法で、レコードを作って売りまくり、果ては映画作りにまで取り組んだ結果、慣習やら経済やら、しまいには国家と対峙することになってしまう男の話。
3. アダム・ウィンガード『Death Note/デスノート』(2017)
これが受け入れられないのもわかる一方で、駄作扱いされることも全く理解できない傑作。少なくともLight upうんたらかんたらなんか問題にはならないくらいだし、本作批判する人はむしろあっちをぶっ叩いてくれ。この作品がズバリ『オーメン』であり『エクソシスト』であると原作の核の一つを見抜いたアダム・ウィンガードの卓見には舌を巻く。外連味溢れる素晴らしいマッドなホラー。
2. マックG『ザ・ベビーシッター ~キラー クイーン~』(2020)
1. マックG『ザ・ベビーシッター』(2017)
失礼なことを言いますが、まさか2020年になってマックGの作品で感動することができるとは……。これだから映画はいいものですね。まさしくそのような映画愛が炸裂しているとはっきり言い切ってしまいたい、愛すべきチープさに溢れた作品だった。同じことを繰り返すことこそ映画である、ということ。それにしてもジャンプスケアのなにが悪いんですかね、ほんとに。