小説

小説を書く時の悩みとして、途中で飽きる、書こうとしてることがなかなか出せない、登場人物の描写に入っていくとどこかで行き詰まってしまう、というのがある。
ちゃんとプロットなりあらすじを作ってから書けば、幾分かは解消される問題かなとも思う。でもプロットを作ろうとするともう飽きちゃう。というそのプロットが小説になればいいじゃん、というか。
そもそも「ストーリー」を「展開」させようとすると途端にできなくなる。単純に能力がないということか。
今、ヴァージニア・ウルフ『波』を読んでいて、もしかして自分は、ずっと散文的な思考を持った人間だと思っていたけど実は違うのかもしれないと思い始めている。じゃあ韻文的なのかと言われれば、それも違うような気もする。もっと適当で、断片的な……断章的な人間?
例えばエンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』とか、ハイメ・マンリケ『優男たち アレナス、ロルカ、プイグ、そして私』とか、細かいエピソードの積み重ねのような作品に惹かれるのもそのせいなのかもと思ったり(デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』までいくとやりすぎだろと思うけど。嫌いではないが)。日記とか自伝もその類かもしれない。どちらもそこまで量を読んでいるわけじゃないが、好きなものも多い。『成城だより』に『富士日記』とか……これは嫌いな人いないか。
最近気になっているのがリットン・ストレイチー『てのひらの肖像画』で、これは「ポルトレ(簡明な人物論)」らしいのだけど、自分が好きなのはその「ポルトレ」なのかもしれないとも思っている。つまり、事実であるということも重要。で、今調べたら「ポルトレ」とは要するにポートレートのことだと知った。
そういえば子供の頃、『アシモフの雑学コレクション』が好きだったなと思い出した。あれはポルトレでもなんでもないが、断章的ではある。
ちなみに先述の、小説で書こうとしてることというのは、事件や出来事でも、人物描写でも、心理でもなく、ある種の価値観、考え方だ。それもできれば、その価値観を登場人物に直接語らせるのではなく、小説全体、例えば小説自体の構造や、文章自体で示したいと思っている。
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阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』と村上靖彦『ケアとは何か』買ったのだけどこれ読み始めるともう『波』に戻れなそうなので我慢してます。