TOKYO!』を渋谷で見た。
レオス・カラックスのは、すごいもん見たなぁ、という感じ。手榴弾ポイポイ投げはかっこいい。
メルドが、裸で引っ張られていくとことか、「私の母は聖母」「神は、私が嫌いな人間の中に私を送り込む」という発言や、復活とかは、露骨にキリスト、という感じ。何を言ってるかわからない、というのも、当時のローマの人から見たキリストもこんな感じだったんじゃないか?、「何言ってるかわかんねぇ」的な、「怪人」扱いされてたんじゃないか、と思ってしまう。
丸、のなかに「糞」のロゴは、『大日本人』(丸の中に「大」)じゃないか。オープニングからすばらしい。あわよくば、そのままマンホールから、と思ったけど、それはさすがに撮影が厳しかったんだろうな。
ニュースのディテールがいい。「ロシア」「デンマーク(?)」「オウム」「ローマ法王」…デモは少し微妙。
メルドの顔のマークがすごいかっこよかった。
意味不明の会話のシーンが長く、「今(おそらく)誰にもわからないし、本当は意味もない言葉(ですらないのか、そうなったら)を延々聞かされてるんだなぁ」と思って感動してしまった。
紙幣を食う、無駄にする(「花と紙幣」というのも良かった)。ジョーカーだ…
ポン・ジュノの「シェイキング東京」。部屋の中のシーンで、廊下を正面から写し、トイレを見せたり、部屋の中を覗き込んだりするのは、『ニンゲン合格』、香川照之が、外のアパートの、いわゆるアパートっぽい曇った(?)窓ガラス越しに人を見つけ(なぜか外のほうを向いて微動だにしていない)、呼びかけるが、無視して、(おそらく)口を開きながら、窓から離れていく、のが、闇の中に消えていくように見えるのは、具体的な作品は思いつかないけど(『回路』?『叫』?)、というかかなり多くの作品に登場する、あの、ビニール越しの幽霊っぽかったし、(多分)中目黒や渋谷はいわずもがなだった…世界がすでに変ってしまっている、というのも。ニュース映像の一つでも入れて欲しかった気もする。
香川照之の部屋のシーン。ワンカットでつなぎながら、部屋での香川照之の、在り方、を映していくのがやっぱり良い。
地震はおもしろい。みんながわらわらと出てくるところ、や、看板が落ちてくるところは非凡な感じ。
ミシェル・ゴンドリー。最初の車の中の加瀬亮に、がっしと心つかまれた。かわいい感じ。まぁでも、嫌いな人も相当いるだろうなぁという。それは、藤谷文子とのカップルもそう。ケンカのとことかも(ここは、すごい長いワンカットだったんだけど、なにか意味あったのか?緊張感がない感じだったけど。対して、「メルド」の銀座の(ほぼ)ワンカットは、緊張がみなぎっていた。まぁ、メルド自体が、なにしでかすかわからない、だったからなのかもしれないが)、嫌な感じのリアリティがあった。それに、伊藤歩の友達とか、友達の妻夫木くんとかも。でもそこは、後半への布石なのかな、と今思った。
でもほんと、役者の力だよな。藤谷文子、でんでん、大森南朋がよかった。大森さんは何やってる人なんだろうか。朝ごはん食べたり椅子を拭いてあげたりパソコンでなにか打ってたりバンジョー(でいいのか?マンドリン、ではないよな)を弾いてたりする(藤谷文子が弾くのもよかったけど)、そういう一つ一つの行為が、すっとなされている。自然、というと語弊があるけど。
シャツ1枚と(おそらく)ボクサーパンツ、とか、セーター1枚とボクサーパンツ、とかね…
マシーン好きだな。あの、蛇腹のパイプみたいなんも好きなんだろうか。
3作とも、東京を徘徊する、という行為が共通している。藤谷文子はこそこそと(メタモルフォーゼしながら)、ドゥニ・ラヴァンは奇怪に歪んだ身体で、香川照之はびくつきながら。

カフカ・セレクションⅠ』を読み進める。
語ってる内容、から、段々ずれていって、瑣末な部分(と少なくとも思わされていた所)が、膨らんで冗長になっていく。「村の学校教師」では、モグラの話ではなく、報告書のあり方や名誉や村と町の関係、成功、について、に話が移っていく。というか最初からモグラなんかどうでもよかった。のでなくて、それが、すでに歪んだ入口だった?
「〔エードゥアルト・ラバーンは、廊下を抜けて〕」の最初の、突然の雨に降られた町の描写が、まじでよすぎる。うまい。映像的、というのはなんか微妙だけど、この、見え方がわかってる感じ、見えすぎてる感じはすごすぎる。というか当然なのか。カフカが、フローベールを読みこんでいた、というのを思い出したりもする。電車の中も、乗客の位置関係がよく、そこに窓の外の風景の様子や見え方、会話の内容、乗客同士の関係(セールスマンと小売商人)がからんでくる、というのも、いちいちよい。カフカはほんとにうまい、って、うまい、は、えらそうだ。
「あるたたかいの記」でもほかのでもそうだけど、よく、本人にとっては論理的なのに、周りから見るとあきらかにおかしい動きをする人が出てくる(それはもちろん、主に語り手だけど)。でもそれはばればれ…で、指摘されて弁解しながら逆ギレ(「この男は、なんて情け知らずなんだろう!」)。
《だれかが遠くで、弱々しい声ですすり泣いているのが聞こえてきた。風が強くなって、私にはそれまでみえなかった大量の乾いた枯葉が、ざわざわと舞いあがった。果樹からは、未熟な実が狂ったように地面を打った。山のかげから、醜い雲がたちのぼった。川の漣が軋むような音を発して、風をまえにして退いていった。》p270しかし、湿った枯葉があるだろうか!それにしてもここは、シャマランだ。シャマランのアメリカンエクスプレスのCMを、思い出したりする。

『記号と事件』の「山の褶曲運動」、は、やっぱり、セザンヌだったのか。