2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『記号と事件』。《もし主体があるとすれば、それは自己同一性なき主体なのです。プロセスとしての主体化は一種の個体化であり、個体化は個人的であっても集団的であってもいいし、一個人についておこなわれても、多数についておこなわれてもいい。そして個…

『電脳コイル3〜5』を一気に読んだ。気になったこと。 ・大人たち全員で、子どもたちに何かを隠している、という状況。 ・ダイチの活躍。彼は、その頭の冴えを、事件解決に持っていこうとはせず、その場をきりぬけること、や、事態をよい方へさしむけるこ…

『電脳コイル2』を読み終えた。繊細さが強調されている。クロード・シモン『フランドルへの道』を読み始める。面白い。読みやすい。がんがん読める。「というより」「というか」「別のいいかたをすれば」、という感じで、言葉が定着しない。イメージも。遠…

図書館に入って、音楽を切ると、子どもの、こもったような、くすくす、と、きゃはきゃは、が、入り混じったような笑い声が聞こえる。子鬼の笑い声、少し邪悪さや怖さや気味悪さも感じる声。入口から、目の前の事務所というか窓口、いつも人がいないのだけど…

笙野頼子「母の縮小」を読んだ。《クマ、シカ、オカアサン、が山の温泉につかりに行ったのやわ……。》というとこで笑った。 おかあさんの、解体その1。まず小さくしてみる。その2。新たな物語(家の中の冒険、動物、昔話)の中で生きさせる。その3。母子の…

笙野頼子『幽界森娘異聞』を読み終えた。 章の一つにこういうのがある。『真夜中の天使』という小説のあらすじを説明しながら、それに「森娘」の小説の筋やキャラクターをかぶせていき、そこに作者自身のイメージも重ねていき(高校生演劇!)、最後に、その…

『絵画の二十世紀』。絵にとっての外部。描くものが外にあること。そのものへの「信仰」「宗教的感情」。 身体によって(その大きさとか)、知覚される、感覚されるものの姿は異なる。虫と人間の林檎のとらえ方の違い。 モネ―知覚、視覚の画家→セザンヌ―感覚…

『宇宙戦争』をDVDで見た。救急車の運転手をしていたティム・ロビンス(だと思う)が、自分が見た、病院に到着するまで生きている人間の特徴を、「目をカッと見開いて、ものを考え続けているやつ」だと、トム・クルーズに言う。ここで、生き残る条件が「目を…