笙野頼子「母の縮小」を読んだ。《クマ、シカ、オカアサン、が山の温泉につかりに行ったのやわ……。》というとこで笑った。
おかあさんの、解体その1。まず小さくしてみる。その2。新たな物語(家の中の冒険、動物、昔話)の中で生きさせる。その3。母子の、位置の逆転。そうすることでしか、おかあさんとつながることができない。つながる?
大きいおかあさんは、権力で抑圧してくる存在。テレビの番組表を見ても沢山出てくるし(「おかあさんといっしょ」)、何よりも「おかあさんゆうたら」「物凄い有名」なのだ。

宮村優子電脳コイル1』を読み始める。アニメよりも一層声・音が重要になっている。イサコが聞く謎の声、指示を出す声。タイトルの通り、視覚が前面に押し出されているのだけど、アニメでも、肝心のところで事態を進めていくのは、声や音の存在だ。ヤサコは、古い空間の声、音を聞くことで探し出す。

もう涼しくて、秋が来たんだろうか。天気も悪い。夏は、天気が良くて、暑くなければだめだな、と思う。でもセミの声はまだ聞こえる。

スターウォーズ クローン・ウォーズ』について。
ジャンプする、跳ねる、飛ぶ…ジェダイは飛べない。見た感じは、ジャンプと跳ねるの間、という感じ。
ジャンプと跳ねるの違いは。ジャンプは、その場から急に飛び上がる。作中の、新しいシスとの戦いの、ケノービの、上の段へのジャンプ。飛びながら、フワッとした力が加わっているように、普通の人間よりはるかに高くジャンプする。
跳ねるは、飛び上がったり飛び降りたりする力を使った次への跳躍。作中での、アナキンが、大きいドロイドの上に飛び降り、また次のドロイドに飛び移る時(ここを見たとき、「ああ、これがアニメじゃなく、ヘイデン・クリステンセンがやってたらなぁ…」と思ってしまった)。
これじゃあ全然この2つが区別できてない。からやっぱり、ただのジャンプのほうがいいんだろうか。
ジェダイのジャンプ。足の力を使って飛び上がる高さは、おそらくすごくない。しかし、その達した高さから、多分フォースによってさらに上へ持ち上げられる。だから、飛びながら途中で、一瞬ふわっとジャンプでもなく、飛ぶでもない感じになる。その時間。引っ張り上げられるような、下から優しく押されるような。