チェーホフ『子どもたち・曠野 他十篇』読む。
「学生」やばすぎ…。尋常じゃなさに息苦しくなるほど。「幸福」の断絶と「学生」の鎖は多分一緒のもので、だからこそ後者には圧倒的感動があるんだけど、むしろそのはっきりとした感じがないだけすごいのは前者なのかも。チェーホフやべえな。
《地平線や果てしない曠野のあちこちに聳えている物見や古墳が、いかめしく、ひっそりと見おろしていた。じっと音もなく立ちつくすその姿には、幾世紀もの歳月と人間への全き無関心とが感じられた。これからさき千年たとうが、何十億の人が死のうが、物見や古墳は相変わらず立ちつくし、すこしも死者を悼むことなく、生者に興味を抱くこともないだろう。そうして誰ひとり、なんのためにそれらが立ちつくすのか、どんな曠野の秘密がその下に隠されているのかを知ることもないだろう。》(「幸福」p134)
《彼らはもう互いに相手の姿も目に入らず、それぞれが自分の生活を営んでいた。羊たちも同じように思いに耽っていた……。》(「幸福」p140)