高橋悠治 対談選』読む。
《最初はヴィブラートなしに、そこに音自体の集中力……その音にエネルギーがあるから、剛直な集中力があるわけですね。しかし、その集中力は無限には続かないから、今度は少しずつヴィブラートを入れるんですね。そのヴィブラートも同じ調子で続くと、また生命力がなくなるから、もっともっとヴィブラートが加重されますね。するとそこで何か爆発しなければならない。爆発というと大げさですけれども、ヴィブラートが加重されると、そこに一つの屈曲が生じてきます。その屈曲が幾つかの衛星音、衛星音群を引きよせる。それはドイツ語ではUmspielungと言っている。それは一連の音をスッと越えるんですね。そしてまた一つの音をつかむんです。》(p182)
《(…)東洋で一番古い楽器は、琴のような撥弦楽器でしょう。その音はただ一つの音じゃない。その音を出す前と、出す時と、出してからのすべてを含めての音なんですよ。》(p183)
三善晃との対談がやっぱりおもしろい。かみあってなさというか、わからなさも含めて。個人、とか、逆に集団、とか、概念を規定しなきゃなにもできない、創れない、というのは、おかしい、というか、ださい。「脱自」だの「〈状況への投影〉」だの「パトス」だの「エトス」だのと言ってるのに対して、高橋悠治は言葉や考え方が古びていない。個人が集まり参加し合一するものとしてではない集団の形を構想する。個人も集団を変化する、というのは個人という概念も集団という概念もばらけていく、変化し続けていくということだろう。
玉置浩二…。名言連発しすぎ。
ECD『TEN YEARS AFTER』聴いてる。「トニー・モンタナ」「Paid In Full」「Play The Game」といった曲名や、過去のリリックの引用(まさかの「J-RAPは死んだ、俺が殺した」)、凶暴な響きのドラムマシン、銃声など、徹底的にヒップホップでありつつ(ギターってのも)、よりさらに強く生活(と書いて「くらし」とルビをつけたい)や過去に踏み込んだラップ。でしかもポップさやワンフレーズの強さもありで。ライブ行きたいなぁ。