ロバート・ロレンツ『人生の特等席』見た。

いやぁ、めちゃくちゃ、良い映画すぎる。同じこと、何回も言っている気がするが、まさしく、ハリウッド的なるものによって造られた映画。
ところで、映画の視点とは、なんなのだろう。POVのように、明確に、映画内の何者かによって撮られた=見られた映像は別にして。
それは、誰のものでもない。観客は、それを見させられているのであって、そこに我々の意志は介在しない。
作中で、野球の試合の映像の一部がぼやける瞬間がある。それは、明らかに、イーストウッド=ガス、が見ている主観である。それは、彼が目を患っていることを決定的にする。
そして、彼の娘である、エイミー・アダムス=ミッキーは、主治医を問いただすことで、父の失明の危機の言質を得る。
一方、作中の人物たちは、ガスの見え方を知る、ことはできない。しかし、例えば、低いテーブルがソファの上で壊れたまま置かれていたり、球場の階段で転んでしまったり、(そのどれも、見えにくくなっていることが原因で引き起こされる)そうした様子を見ることで、類推する。
映画において、何かを描くこと、そして、そこから何かを読み取ること、とはこういうことなのだ。直接的にその物、事象自体を登場させるのではなく、そこを発端とする、異なった別の「事件」たち(つまり代替である…)を描出する、ことによって、「見えないもの」を、「見えないまま」で、映像に刻み込む。
私たちは親子です/私たちは特別な関係性です・絆を持っています、ということを、そのままの宣言をするのではなく、父娘のある共通点をさらりとあらわすことで示す。それは、悪態・口の悪さ、であったり、野球への知識であったりする。
つまり、娘の抱える悩みがかなりはっきり言葉にされたりするのはこの対極にあるといえる。言いづらさ、が肝だと思うのだけれど、こういう問題は。
常に不機嫌なイーストウッド!を演出してしまってる時点でこの映画は勝ちである。そして、エイミー・アダムスに何か言えるだろうか。さらに、最近完全に役者としてあるキャラクターを身に着けつつある(魅力的であると同義だ)ジャスティン・ティンバーレイクのすばらしさ(でも音楽活動もしてほしい)。
鴨居まさね君の天井は僕の床』2、3巻買って読んだ。うわー奇声あげたくなるくらいみずみずしく、それでいてさりげない。脱線し派生していくエピソードと人物たちの造形描写、には丁寧でやさしいリアリティが付与されている。めちゃくちゃ好きだ、こういうの。
そして西炯子姉の結婚』4巻も買った。こりゃあ、追いつめますなヨリを。きつい展開だ…。まぁオチはわかってんすけどね。