小中千昭『恐怖の作法 ホラー映画の技術』読み終えた。
《呪いだとか祟りというものは、どうやら民俗学の問題ではなく、現在進行形で存在するメタ・コミュニケーションなのだと考えるべき事柄なのかもしれないのだ。》(p271)
《何やら呪いの様なものがあるらしいが、何が呪っているのか、どうして呪っているのか判らないーー、この状態が最も怖いのである。》(p275)
《もっと根源的な、自分の存在自体を疑わせる様な恐怖感。多くの誰しもがその恐怖のレセプターを持っていながら、普段は意識されていないものーー。(…)それは「狂気へ至ることの恐怖」なのである。(…)ここで言う狂気とは、"正常でなくなる"という事以上に、今の自分自身が全く理解不能な存在になってしまうことだと、規定させて欲しい。》(p284-285)
うーん、やはり前半の、ずっと読みたかったファンダメンタルホラー宣言の部分が一番おもしろかったな。高橋洋『映画の魔』思い出して読み進めたくなった。あと黒沢清『映像のカリスマ』も。