新宮一成『ラカンの精神分析』を読んでいる。自分の真実存在を証明する、自分が何者であるかを語る、ことは、本質的に不可能、である。それは、他者によって語られている、欲望されているという、他者の行為によってでしか可能ではなく、しかも、それの意味…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。