三浦哲哉『映画とは何か』読んでる。 《(…)他の芸術領域との翻訳関係にこそ「不純な芸術」としての映画の豊かな可能性があるーーとくに50年代以降のバザンにおけるそのような着想が具体的に示されていた。アンドリューは言う。「それ自体本質的に無である…
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