ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』を読んでる。例えば、出来事のとらえ方が、ある一点を境にまるで別のものとなってしまう、同じことなのに、ものすごく悪いことのようにとらえられてしまう…つまりこれも、分裂、ということなんだろうか。ドッペルゲンガーを見たり、女の子が男の子のふりをし一方で自分の姉のふりをして手紙を書いたり、チャンドス卿はものを名づけること(名を示すこと、とらえること)ができなくなる一方もとから名づけられないものや感覚感情を名づけなければならない欲望?にとりつかれる(そしてその両者の乖離によって言葉が「腐れ茸」のようになってしまう)…気味の悪い(不気味であり不穏な)「分裂」の様々な形態がある。温室の、窓ガラスごしに接近してこちらを見つめる子どもはほとんど黒沢清。しかも、わけのわからぬ悪意以前のものにあっけなく主人公は殺されたりしてしまう。カフカよりよっぽど構造(カフカの「構造」は分析不可能だけれど)がない。吉田健一のエッセイをちょっと読んだ。おいしそう…そして、うまい、としか言わない。あとは少しずつ保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』を読んでるんだけど、いよいよ、というかニーチェのくだりになった。やっぱりこういうとこの方がおもしろい、日本の小説についてより。