笛吹川』を読んでいる。なんというか、こういう書き方で、こういうことが書けてしまうなら、なんだか、凝った語り方は、もう必要ないんじゃないか、と思った。時制をいじったり、なんやかんや、する必要がまったくないように思えてくる、深沢七郎的小説が書けるならば。
ヒサやタケが死ぬ時(というか人が死ぬ時?)全然関係ないことが起こってその場にいる人たちの気がちょっとの間逸れる。というか、出来事すべてに、それと関係ないようなことが常に並行して起こる。
おけいは、右手で左の腕をさすりながら、片目でものを見る。あとよく泣く。「ごいす」「やんす」がかわいい。
勝やんが、ご本尊を勝手に持ち出してしまった、という、わけのわからんエピソード。