金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』を読み終えた。
なんというか、図らずも、なのかもしれないけど、後半の方で、労働問題、というか、(またしても)(新)自由主義について触れることになっていた。
いやそもそも、何もしたくなくて、一応大学院浪人になってる(って初めて知った)桃子が、母親とかに、自身の状況や未来についてぐちぐち言われ、そのことについて漠然と不安に思ったり、ですぐにどうでもよくなって、ま、なんとかなるだろうって思ったりする、というくだり(《(…)私も、いいや、さきのことはさきのこと、一日な苦労は一日にて足れりだな、という気分になってしまった。》(p129)や《とは言うものの、まだおきていないあれこれの先きのことを思い悩んだり考えたり計画をたてたりしても、その時間の分だけ損をする、というのが子供の頃から、私の実感で、(…)》(p209)など…)が、この小説だけでなく『小春日和』でも『快適生活研究』でも何度か出てくるから、その度に労働(とかそれを強いる人間や環境とか未来に希望を持たなければならないという考え)にまつわる嫌な感じとか徒労感疲労感倦怠感不安感(と同時にそういうものはどうでもいいんじゃないかという思い)(そして《貯金》《預金高》という「暗くわびしい未来を考えてしまうきっかけ」について…
でも、誕生日にみんなからお金をもらって集まってくるのがおもしろかった)が描かれるんだけど、今回ではそれが、(「だめ連」(およびそれに対する「中年男」の反応)って言葉が登場したのはびびった)「働かざる者は食うべからず」とか「生き甲斐」といった言葉の馬鹿らしさや、そもそもの成り立ちというか使われ方を考えて、その根拠のなさ、前者に関してはただ単に(自分より)弱者から奪うための口実にすぎないこと、を露呈させることで、よりはっきりとしていたように思う。しかし桃子も、『快適生活研究』では就職してしまう。してしまう、ってこたぁないかもしれないけど。
あと小林のキャラクターは、ちょっと(目白シリーズに)あまりいない感じだった(《(…)この時、ちょっと不快になってむっとした、ということは、通常の物語的展開から言えば、小林と私の仲が急接近しつつあることへの仄めかしということになるわけで、そのことに語り手である私は気づいているのかいないのか曖昧なままにしておいて「作者」は筆を進めるということになるのだろうけど、私の直観では、当然、小林と私の間には何も特別なことはあり得ないのだ。》p145-146)。
しかし読み返すと、笑っちゃうようなものやもしくは甘美な細部の描写(「冷やしおでん」とか「キッシュ・ロレーヌ」、昨日のバーベキューの残り香、病気で寝込んだ時の感じ、「あたしを買って!!」、「同級生の女の子」、「「処女」のまま、ペッティングとオーラル・セックスをたっぷり経験して帰って来て」…)、紋切型(な言い方や考え方、人間)への苛立ち(それは大抵、誰かの父や母、だったりする)、(感動したのは家族間の呼び方のかぶりが生む混乱、について書かれていたことだった)が沢山あって、(当たり前に)要約できない小説だ。

で、『フラナリー・オコナー全短篇 上』を読み出す。前に読んだ短篇の細部まで覚えられている。

くるり『アンテナ』を久し振りに聴いた。2004年って…。