新宮一成ラカン精神分析』を読み終えた。
誰かや自分の存在の仕方や、誰かとの関係に、必然性を見いだすこと(それは「愛」だ)、は、我々には不可能であり、つまり言語の外にあるもの、語ることの出来ないものである、それゆえに、その、必然性を担うものは、それらの外部にいる者であり、言葉を使わないものであり、沈黙するものである。さらに言えば、それらが、我々の元にやってくること、言語の不可能性がやってくることは、かつていたものが再び現われしかし語りはしない、ということにおいて、死者の到来と同じである。少しずつ死んでいくという事でもある。そうして我々はすこしづつ他者になっていくわけだが、そうなると今度は、他者に完全になることで、主体の外に出、語ることができないものに、なってしまう。

金井美恵子『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』を買って読み始めた。やっぱおもしろい。女ばかりの中で育った弟。ナボコフルノワール、バルト。

ありふれた奇跡』は、コミニュケーション不全の若者を描くと思いきや、そこから始まって物語は、今度はそれと間逆にいたと思われた老人の下に、なんというか、物語自体の切っ先が戻ってくる、という感じですばらしかった。