織田作之助『六白金星・可能性の文学 他十一篇』と三宅乱丈『ペット リマスター・エディション』5巻買って『ペット』読み終えた。桂木は北村一輝だな。
善きものも悪しきものも連鎖・継承・影響しすぎてしまう能力者たち。それを断ち切る、なかったことにしてしまうには、廃人になるか記憶を失うしかない。司は無論それを選んだわけだが、林も無意識下で望んでいたのかもしれない。司を車に乗せてしまったということは。
ヒロキも悟もそうならないことを選択した…わけだけれども。しかしどうやら遺恨は(どうやら血縁、家族といったものによって)引き継がれる、ということを匂わせて物語は終わる。
…とここで思ったのは能力者たちはいわば記憶・思考の半強制的な共有によって家族と化している、ということ、…今更かもしれないが。イメージを辿ることは、自らの先祖に行き着こうとすることに等しい。それが後者はある人間という個体に帰結されるのだけど、前者のイメージはある特定の場所へと導かれる、というのも面白く(それは未来の行く末・行くべき場所が過去によって規定される(要するに林によって…)という純然たる、しかし不安定になりがちな事実を強固にするという現象の明解さ(あまりにも明解すぎて恐怖ですらあるが)、が一つとしてあるわけだが)、しかし、先祖探しも、人間個体とは限らず物であったりエピソードであったりそれこそ場所であったりすることもあるわけで、そう考えると能力者の特殊性が解けていくような気がする。我々もまた能力者である、とは些か言い過ぎだが。
やっぱり表情の不安定を感じる。ある個人の過去〜現在の造形の非統一性というか。司や悟やヒロキは特に。林や桂木はそうでもないが。
ともあれ、あるはずの続編を気長に待とう。
ロン・ジン・ボスは日本人じゃない方がいいか。ボスはアンソニー・ウォンとか?
ジャック・デリダ『精神について ハイデッガーと問い』読む。人間中心・ヨーロッパ中心になってしまう精神と世界(観?)。