チェーホフ『子どもたち・曠野 他十篇』読む。
《「貸すともさ!頼むんだよ!施しのつもりで、って言うんだ。おれたちゃ、巡礼とおんなじなんだからな」「ちげえねえ」》(p277-278)
《長いあいだ目を逸らさずに深い大空を見つめていると、なぜとも知れず、思いも心も孤独の意識に溶けこんでしまうものだ。自分が救いがたいほど孤独なものに思われて、それまで近しい親しいと思われていたあらゆるものが、限りなく遠々しい、無価値なものとなってくる。もう何千年ものあいだ空から見おろしている星が、そして理解を超えた空そのものが、靄が、人間の短い命などにはいっこう無関心なので、それらに面と向かってその意味を探ろうと努めたところで、沈黙をもって魂を圧迫してくるくらいが落ちだろう。墓場でわれわれ一人一人を待ち受けている孤独に思いおよび、生命の本質が絶望的なもの、恐ろしいものに思われてくるくらいが落ちだろう……。》(p293-294)
《けれども、どんなに努力しても、自分が暗い墓場に横たわり、家から遠く離れて、みんなから取り残され、よるべのない、変わり果てたところを想像することはできなかった。自分にだけは、死などということを認めることができず、自分は決して死んだりしないと感じるのだった……。》(p294)