ドゥルーズ『批評と臨床』読む。
《それは、時間の中でさまざまな変化を経験する受動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。(…)それは〈私〉を、つまりは自己を触発する〈他者〉としての規定の自発性を、みずからに表象するような受動的な自己の実存として、規定されるのである。》(p69)
法の、中身のなさ(形式だけ)。カフカ
アイアンマン2』のカットの変わり方(ある一つのシーンの終わり方)は、スターウォーズ風。『アウトレイジ』、というか、北野映画は、フェードアウトで、なんだかわからないんだけどそれが可笑しくてしょうがない時がある。