ジョン・ロンスン『実録・アメリカ超能力部隊』読み終えた。冷戦、ベトナム戦争、ヘール・ボップ彗星、MKウルトラ計画、「アーティチョーク」、湾岸戦争911イラク戦争アブグレイブ(《幽霊に取りつかれて》《また仕事をしたがっている》刑務所)とグアンタナモ、そしてそれらにまつわる陰謀(論)やオカルト、妄想、…『第一地球大隊マニュアル』という異形の書物に端を発するアメリカ20世紀後半の狂気と悪夢の歴史だった。《「(…)理由があるんだ。ほかになにかがおこなわれている。もちろんなにかはわからない。だがきっとなにかほかの意図があるはずだ」(…)「あなたはこの兎の穴がどれほど深くまでつづいているかわかっていない、そうだね? だが、それが深いことはわかっている。深いことはね」(p201)
p168〈プレデター〉はやばい。ユリ・ゲラー、ジョー・マクモニーグル、マーティン・バシールがちらっと出てくる。
で、『カフカ・セレクションⅢ』読み始める。「あるアカデミーへの報告」、最初読んだことがあるような気がしたけど、ただ「報告」という形式でそういう風に思っただけだった。自分より上位と思われる存在への多少慇懃無礼な報告。それにしてもここで猿が語る「出口」というイメージの深遠さにはびびる。こういうことが書けてしまう作家なんだよな。ほんと別格というか、ちょっと怖い。
そしてある箇所で書かれたことが、その直後に裏切られるカフカ節。…というかこういう風に書いてみて、カフカについて何かを語るというのはつくづく徒労でばからしいと思ってしまうのは自分がおかしいんだろうか。同じことばしか生み出せない。カフカを読むとき、いつも驚き続けられるという異常な体験をするのに(それをおもしろいと言ってしまっていいかどうかさえ逡巡してしまうが)それについて言葉としてアウトプットをしようとすると、引用になってしまう。か、言いかえ。か。