スティーヴン・スピルバーグタンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』見た。3D。

鏡、ガラス、窓、瞳、瓶、水泡、水面、などの過剰であり得ない映りこみ。実写ではそこまでできない、という範囲まで表現されている。
これは技術的なものではない。CGもあるし。むしろ観る我々が、現実を描く作品の中で、どれだけの、非現実的な視点を許容できるかの問題。
異なる動線を持った人・もの・動物の存在が並行するのにも、限度があるだろう。レッド・ラッカムとアドック卿の船上での戦闘は、凡百の海賊ものや、海上アクションを軽く凌駕する素晴らしさ。なぜ今までスピルバーグは、海賊ものを撮らなかったのか?あ、『フック』があったか…。
無論、期待通り、というかその期待を上回っていたのは、バイクでの追跡シーンだろう。鷹、スノーウィ、車、バイク、各登場人物、がバラバラに入り乱れて動きながら、一つの目的(羊皮紙)に向かって動き続ける一連のシーンの充実っぷりときたら…。実名を出すのははばかられるけれど、いかに3Dとしての完成度が高いからと言って、『アバター』にこんなアクションがあったか。ナヴィ、という、非現実世界を舞台にしているにもかかわらず。さらに言っちゃえば、『タイタニック』の沈没シーンは、この映画のユニコーン号の崩壊の強烈さに遠く及ばない。力学的な異常さを全面的に押し出している。
この作品のことを考えるにつけ、松本人志マイケル・ベイに思いを馳せずにはいられない。前者は動きの論理性への潔癖さ、後者は並列に複数の(ばらばらな向きを持つ)アクションを描くことのでたらめさ。なんでスピが、ベイやんに肩入れするのかわかったような気がした。キャメロンではない。
そして何より、(もしかすると、今あげた2つの要素にもっとも執着しているかもしれない)宮崎駿、なのだけれど。アニメだから、ということではなく。
とまれ、大傑作。