ベン・アフレックゴーン・ベイビー・ゴーン』DVDで見た。

この作品におけるミシェル・モナハン=アンジーとは一体何なんだろうか。ケイシー・アフレック=パトリックに寄り添うように、常に共に行動しているが(「相棒」と称されているし)、彼が様々な人々と相対して、話を聞き出したり、時には危険を冒しているそばで、ほぼ、何もしていない。
この2人は支え合っている、ように見える、がしかし、パトリックが、アンジーを侮辱されたと言って怒りをあらわにするとき(それは同時に危険に片足を突っ込むことになるのだけれど)、曲がりなりにも彼女にための行動であるにも関わらず、不思議と、アンジーはリアクションをとっていない。何も起こっていないかのように、そこに佇んでいる。
どうやら、セクシーな女性としての扱いも受けているが、そうは見えないし(そのような部分を隠すかのように、スウェットを羽織っている)、事実そういう扱いを受けても、特に気にしていないようだ。
アンジーとパトリック、それぞれが落ち込んだ時、彼らは、相手に対して、1人にしてくれるように願う。すると相手はさっと引きさがる。
最後、アンジーが必死の説得をするのだが、それが叶わず、結局彼女はパトリックの元を去る。そのあまりのあっけなさに、呆然としてしまう。
思えば彼女は、当初から、この幼女誘拐事件にかかわることをよしとしなかった。写真を見るのも嫌がった。そしてラスト、重要な事実が明らかになる森の奥の家に、なぜか彼女は、その「現場」に足を運ばない。
つまり彼女は、誘拐されたアマンダを、碌に視界に入れようともしなかった、ということだ。
彼女が印象的な動きを示すのは、湖に飛び込むシーンだろうか。これもなんなんだかわからないんだけど。しかしそこでも、拾い上げるのは人形である。
どうやら、原作からすでに登場する人物らしいが、こうして、映画の中で、ほんとに奇妙な存在として立ち現れている。
すげー陳腐な言い方をしてしまえば、パトリックの心内の現れ、ということなんだけど。決定的な選択を下すことで、彼は(彼女と)統合された。
いやー全然まとめられる気がしない。総じてよくわからないんだもの。羅列していこう。
・ケイシーが役者として、まとっている表象は、やはり兄の言うように、脇役のそれ、という気がする。『キラー・インサイド・ミー』見ていないのでなんとも言えないのだけれど(言ってるけど)。にしてもマイケル・ウィンターボトム、全然公開されてないやん。
・最後、アマンダの持っている人形の名前「すら」違う時、吐き気すら覚える。
・細かい動きのカットをつないでいく、フェードで人物と風景・外観・空撮をつなぐ、という編集が海外ドラマのそれを思わせる。
・回想を織り交ぜて、事件を別の視点からもう一度見せつつ真相を明らかにするという映像の手法やっぱ違和感ある。
ある一人の子供、女の子のために、傷をそれぞれ持つ男たち――その時期はどうやら15年前であるようで、子供にまつわるものである――が集まり、罪を犯す。女性たち、は、邪魔者として執拗に排除されている。その隠された真相を、ある一人の男が暴いてしまう。しかし、彼もまた、外傷を抱えているのではないか?エド・ハリス演じる刑事が語るところの、見捨てられた子供とは、この男のことではないだろうか。…。