トニー・ギルロイフィクサー』DVDで見た。

まず、時系列が少し入れ替えられている。車が爆発するわ、馬が出て来るわ…。これは終盤のシーンで、普通、主人公が知らぬうちに絶体絶命のピンチに陥っている場合、当たり前だけどその結末はわからないまま観客の興味をひっぱっていくのが常套手段だと思うのだけれど、一度、そのシーンを冒頭ですべて見せてしまって、マイケルが助かることをばらしてしまって、そのシーンをもう一度、裏側の出来事込みで見せる。
それはつまり、この「シーン」が、観客だけでなく、尾行者たち(彼らが爆弾を仕掛けたわけだが)にも見られている、という描写を含んでいる、ということだが、今度は一度目にはなかったその続きとして見せるのは、自分の持ち物を燃え盛る車に放り込みその場から走って逃走するマイケルの姿で、それは、爆破を遠くから確認し立ち去ってしまう尾行者に向けた行為、演出、演技、である。この映画内の「観客」に、自分は死んでいる、と思い込ませるのだ。それは、映画外の私たちではない。
最初と終盤で同じシーンを見せ、つい、『デュプリシティ 〜スパイは、スパイに嘘をつく〜』を思い出してしまうのだけれど、トニー・ギルロイは、この2つの作品で、作品の中と外、それぞれの「見ている」人たちを違った次元でだますような作りを仕組んでいる。その「半」メタ的な作りがめちゃくちゃおもしろい。
プロデューサーがシドニー・ポラック、製作総指揮にスティーブン・ソダーバーグ、という自分たちが撮ってもよいような人たちが名を連ねているのだけど、この人たちが監督したら、きっとこうはならないのだろう。
作中で、アーサーが殺されるシーン、をワンカットで見せるのまじで最高だな…。しかもあの殺し方!髪の毛が落ちないようにシャワーキャップかぶってたり、注射を足の指の間にしたりするのとか、はんぱねー。
車に乗って、発進し、いったん止まる、までのワンカットとか、寒々しい色合いの山道、とか、撮影も良かった。さすが、ロバート・エルスウィット。そして、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワードという(なんかじわーっと不穏で不安なメロディが…)、いつもの面子で。
ティルダ・スウィントンがすごいよいか、と言われると、まぁまぁ、というか…。むしろ、シドニー・ポラックとか(さりげに自分出てやがった)、トム・ウィルキンソンとかのおっさん勢がいい味出してる。
アマゾンのカスタマーレビューで「わざともったいぶった…」というようなことが書かれているのだけど、自分もそこが気になる。今作にしても、デュプリシティにしても、そう取られてもしょうがないような混乱を意図的に加えている。見る人間をかく乱するような演出や、編集を施している。そこがおもしろい、ということなんだけど。
矢部史郎・山の手緑『無産大衆神髄』読み終えたので、それもどこかでまとめたい。