デヴィッド・O・ラッセルハッカビーズ』DVDで見た。

もう、マーク・ウォールバーグが出て来るところで死ぬほど笑った。どんだけ好きなんだ自分は…。
例えば、ミシェル・ウエルベックの小説や、ポール・トーマス・アンダーソンパンチドランク・ラブ』を思い出すような作品。思索的で、厭世的な人物(たち)がそのまま物語となる。他者とのつながり、と、その反面の孤独性、というモチーフも。
ダスティン・ホフマンが、壁からベットを引っ張り出してくる、マーク・ウォールバーグが、妙な靴を履いて出て来る、唐突さ。そして、シーンが展開すれば、それが何なのか、前者は、その上に乗っている寝袋で行う瞑想のためのものだし、後者は彼が消防士であり、防火服の靴である、ということが判明する。
この突然さ、を持つ瞬間は、何と表現すればよいのだろうか。どうすればこういうものが発生するのか。カメラが捉えている構図の、外からふいに飛び込んでくる、ようなものを見たときの、微細な驚き。
ジュード・ロウの、泣き顔を撮ったポラロイド写真が映された時、それがあまりにも良くてびっくりした。
そして、DVDの最後に入っている、発売当時のキャンペーンと思われる告知映像が、本編で明らかに揶揄されているハッカビーズのCMと同じテンションなのに笑った。わざとだろ。