最近買ったもの、聴いたもの、読んだもの、見たもの。
九井諒子『ひきだしにテラリウム』(まさに、タッチ書き分けの鬼!とでも呼びたいくらい。特に、エッセイ漫画と、取材される側の海外現地の若者の視点が交錯する「えぐちみ代このスットコ訪問記 トーワ国編」とか、様々な種類のフィクションの登場人物を同時に描く「ショートショートの主人公」、なんかは、この画力がないと書けないだろうな、という)、金井美恵子『切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー』(持っていなかったので、見つけて即購入。ある種の、幼稚な官能性、とでも呼べる要素を持ち合わせる絵画、芸術作品、例えば決してアウトサイダー・アートとは呼ばない、ナイーブ・アートや、フォーク・アートの作品、に触れることの喜び。そして、絵画と映画にまつわること、つまりはジャン・ルノワールについて、が所々で語られ触れられているのを読むにつけ、読まないといけないという義務感に少々うつうつとしてしまう…)、阿部和重『幼少の帝国 成熟を拒否する日本人』、大江健三郎『さようなら、私の本よ!』、やけのはら『SUNNY NEW LIFE』(ジャケの写真がぼやけとる、と思ったらどうやら古いものを引っ張ってきたらしい。曲は、前作よりサンプリングが多いような気もする。まだ何とも言えない)、ジャスティン・ティンバーレイク『The 20/20 Experience』(くっそかっこいい、としか言いようなし。今のところは)。

オリバー・ストーン野蛮なやつら/SAVAGES』見た。

しかし公開2週目で、この上映数の減りは正直どうなんだよ、って思う。だってオリバー・ストーンだよ…。まぁそんなの通用しないんだろうけどね。出てる人もみな日本でアレな人ばかりだろうし。
えーと…。もう見てちょっと経ってるので、…、という言い訳を使いたくなるくらい言葉が出てこない現状。しかし嫌いではないし、むしろ好きな映画だったんだけど、どうしたらよいだろうか。一先ず、別の作品から。

大友啓史『プラチナデータ』見た。

シナリオのどうかしてる具合、は、まぁ原作のせいにするとして…全体的には良かった。オープニングクレジットの出方とか(キャストだけでなく、脚本とか監督名も出す感じ)、二宮君のアクション大半が本人、とか、トヨエツ最初全然しゃべらない、とか、インターフェイス描写の気合の入り方、とか、バイクチェイスの現実感(まぁこのレベルだろう、っていう)、とか、劇中で大友監督の志向しているところが明白だった。その部分を支持しているのもあったので、全然問題なし。でも、二宮君の激怒するシーンとかパソコン猛烈な勢いで叩くのとか見ると、日本だとこれだろうなぁ…という気にさせられてもやもやとする。いや、二宮君じゃなかったら、また違っただろうな、とも思った。いや全然良いんだけど。

となって、改めて『野蛮なやつら/SAVAGES』について。
殺伐とした暴力の応酬、だけで、展開する、というのとは少し違う。最初は実際にそう感じていたし、北野武映画のようだ、とも思っていたけれど、ストーリー的にも、語り口にも、人物の関係にも、奇妙な停滞がある。その進行具合が、決して、殺伐とした何もない「荒野」「彼岸」への道行にはならない、という感じ。メキシコ麻薬カルテルの女ボスと、拉致されたヒロインの、心の交流、とか、ベニチオ・デル・トロ演じるラドの身の振り方・動き方、など。
むしろ、野蛮に、原始人に、なろうとしてなりきれない現代の人間、が現れているんじゃないか。本能ではなく、打算的に、未来を想定しつつ行動するのは、Savegesじゃないだろう。
だから、あの終わり方も必然と言うか、希望に満ちているというか。結論は出ないまま、果たして野蛮人になれるのか不明なまま終わる。
というか、要するにベタなんだけど、そのベタさがまたやけに古めかしくて、そりゃあこれより『アウトレイジ』が先に行ってるのは当然なんだけど、このオールドスタイルにも愛着を感じてしまう、という感じ。
後本当は、いかにオリバー・ストーンが、アメリカの病理に執着しているか、ということなんだろうけど、まぁそれはいい。
アーロン・ジョンソン、良く知らないけど完全に売れかけとるな/『ザ・マスター』の公開劇場の少なさに怒りにうちふるえている/『クラウド アトラス』とオズを是が非でも見ないと…/マジ乙武さん泣きの演技すらやってるから俄然『だいじょうぶ3組』に興味あり/