ブライアン・デ・パルマブラック・ダリア』DVDで見た。

映画、のもたらすイメージに、強迫観念的にとりつかれ、同時に執着してもいる作品。「ブラック・ダリア」は、死体や生前の写真ではなく、執拗に再生されるスクリーンテストのフィルムと、私製ポルノムービー、恐怖映画によって、その姿を表出させられる。そして映画本編自体の映像は、古典を模倣し再現するかのような構図と質感を採用している(階段の上からこちらを見るスカーレット・ヨハンソン!)。
1度見たはずのものが、再度目の前に現れても(もう一度眼にしても)、それに気付くことができない、ということ。
はりぼての、本物そっくりのもの、の中身は空洞で、簡単に壊し、内部を覗き見ることが出来る、ということ。内部には(人の目につくところに=カメラに撮られるところに)「本物」を配置すること。
演じること、偽ること、の反復。強制によって為された告白すらも虚偽である。
真犯人の造形はいかにもエルロイ、だった(原作読んでないけど)。
SL広場で『ボルヘスとわたし 自撰短篇集』と東京都写真美術館編『メモリーズ・オブ・アメリカン・ドリーム』買った/ずっとダフトパンク聴いているが、ギターが良すぎる/アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』読んでる。精神病院と思わしき施設のスケッチ/