吉田恵輔『麦子さんと』見た。

堀北真希余貴美子が、ソファーに並んで座った時、予想外に顔が似ていてびっくりした。目元の感じとか。堀北は、2つの目が顔の横幅と一緒(顔が小さく、目が大きい、と言いたい)。
松田龍平演じる憲男が、両親の離婚の原因として、母親が細かくてうるさくてそれに父親が辟易していて…というようなことを語るのだけれど、その後、この兄妹の会話、例えば埋葬許可証を巡る電話でのやり取り、を聞いていると、兄は母に、妹は父に似たのだろうな、というのがわかってなんだか安心?する。
ミチルさんに対して、麦子が、「自分がかわいそう、みたいな顔して…」「そうやって(笑って)いい人ぶって…」とかずけずけ言うのだけれど、なんてったって演じてるのは麻生祐未なのだから、当然だよな、と思うし、当書き的disですねこれは。あと、声だけの時、余さんの声に聴こえたのだけれど、差し替えたのか、麻生さんの声が似ているのか。自分は後者だと思う。窓口での少し力の抜けたやり取りとか、そういうちょっとした要素の取り上げ方、差し込み方がうまい。というのは役者の力でもあり、監督の演出でもあるのだろうけど、麻生さんは魅力的にとらえられていた(おそらくアドリブであろう、麦子との商店街での買い物のシーンもよかったし)。
温水さんは、正直うーん、って感じだったけどね。あのポジションなら、もっとはまる人がいそうな気もするが。
旅館のおっさん、というか、ガダルカナル・タカが、麦子、というか、堀北に、「喪服いいねー」(「エロいねー」とすら聴こえるのが、タカさんの「人徳」でしょうか)という時、観客としては、よくぞ言ってくれた!という気持ちになる。その前の、火葬場の時から思ってましたよ、って。
前半の、麦子が、母親につらく当たるシーンは、こちらとしては、落ち込んで哀しくなる一方で完全に終盤の「爆発」への「貯金」のような気持ちで見ていた。目覚まし時計に何かあるのもわかりきってたし。ラブホテルで淡々と働く母の姿(を、麦子は当然見ない)。背を向けて号泣する兄(松田龍平も監督も、これはずるい)を見て泣けない妹。彼女をあからさまにトレースする、旅館のバカ息子の振舞い。しかも、いつどこで「弾け」たところで、圧倒的な不可能性が現れる。死者に語ることも、語られることもできない、ということ。ま、それで終わることはできずに、この映画は最後に、ほんとまるで追加撮影したかのようなシーンで、母娘の交感(と呼ぶにはちょっと即物的すぎる…)を描いているが(でもラストに、再度時計を登場させて、「それ」だけじゃないよ、と示そうとはしている…と思う)。
あ、バカ息子、染谷将太が演じてたら自分的には完ぺきだったなぁ。というか、監督もそれを意識していたとしか思えなかったのだけれど。「似せて」「近づけて」いたんじゃないか(役者には申し訳ないけれど。岡山天音くんというらしい。しかも『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』に出てるみたい)。彼なら、親に悪態をつくシーンで決してそこだけ語調を変える、なんてことはしなかったんじゃないか(それが悪いってわけでは無論ないけど…そうしない方が「おもしろい」んじゃないか、ってだけで)。
吉田監督作品で唯一見たことがある『さんかく』で、田畑智子がトイレの窓から突然現れるシーンが、めちゃくちゃ印象に残っていて、このカット(と人物の動き)だけで、才能を感じさせた。今作にも期待はしていたけれど、そういうものはないように思った。ただ、母親そっくりの麦子見たさに、人々が部屋の窓の向こう側にわらわらと集まってくるシーンにその片鱗はあったような気もする。あとタクシーが警官をひくのはカット割らないでほしかった。
ともかく、誰しもわかることなんだけれど、堀北真希が可愛く、魅力的に撮られていればそれでいいんじゃないか。しつこく恩を売る松田龍平に荒々しく言い返したり、本気のパンチを繰り出したり、する所作は、まさに「妹」である。
ただ、1つ、つけくわえるなら、堀北真希が彩子を演じる時、髪型が変わってないのはどうよ。我々はもう、有村架純の聖子ちゃんカットを知っているのだけれど。そこまでやると、本格的に、この映画が裏『あまちゃん』と化してしまうのだけれど。