フジファブリックのミステリーツアーという曲、イントロ最高で歌に入った途端もたついてるような気がする。ベボベにもそういう曲あったような。なんでだ。


川口春奈さん、なんかこう、くちびるなのか、なんなのか、なんか、良いなー、と思ってたら新美術館前で浴衣で撮影してるの見てしまったので幸福だった。実物はばっちり化粧してるからなのかパキッとしたお顔でした。


都内の道、激烈に空いとんな。


保坂和志『世界を肯定する哲学』読み終えた。
《「ある」は肉体に先行し、肉体によって人間にもたらされる事態であり、「ない」は肉体によって知ることができない、ただ言語によって生み出された概念だ。》(p229)つまるところ、ある、も、ない、も、「私」の範疇外であるということ。違うのは、ある、は知られるけど、ない、は知られない。
《意識が芽生え育つプロセスにおいては、〈あなた〉や〈彼〉や〈彼女〉の肉体を圧倒的な現実として受け入れたことの方が先にあって、〈私〉の肉体こそが最後にやってきたのだ。》(p228)
《逆に、うわの空でただ何か(=世界)が見えているとき、注意なり意識が戻ってきた途端に「見える」が「見る」に転化して、世界は姿を消して個別の対象となる。》(p220)
《あるいはまた、恋愛の真っ只中にいるとき、その相手は"差異の体系"の外にいる。(…)/(…)(つまり、"差異の体系"の外にあるものしか"愛"とは呼ばないのだから)(…)》(p219)
《(…)「おいしいから食べる」のではなくて、「食べることがおいしいから食べる」のだ。》(p214)
《書いても書いても一番最初の驚きに命中しないという思いによって、一番最初の驚きが"一番最初の驚き"として膨らんでくる、というようなものなのではないか。》(p207)
《だから、「理解する」ことによって精神の様相が変わってゆく。》(p194)
《(…)そういう"場の生成した状態"に、"無条件にいまここに存在している個体"が重なった状態が〈私〉ということなのではないかと思う。》(p189)
まぁ読んできて思うのは、要するにラカンなんだけども。《(…)"自分に先んずる他者""自分以上に自分を知っている他者"(…)》(p224)なんで特に。