デミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』


見る前にこんなことを思っていました。

見終わって、より正確にいえば、この監督は、映画という形式より別の事に興味があるんだな、という感じです。さらに言いかえれば、映画の持つある種のフェティシズムとか、歴史を、映画自体の中で扱おう(それによって作品に多様性や多角性を与えよう)とはしていない、ということです。誰しも言及せざるを得ないスクリーンのシーンや、作中で出される映画作品名の貧困さなどがその証になっているのはないでしょうか。

しかし、ある芸術作品が、自身へ自己言及的になるという、現代においては当たり前のことを拒んでいるわけではありません。あくまで「ジャンル」として語るのを避けているだけです。確かに映画のある側面について触れています。
それを言葉にするならば、「非現実」 であり「ファンタジー 」であり「妄想」である、という性質です。

問答無用で屈服するしかない(作品の不備を帳消しにしてしまうような)あの強烈で「ずるい」終わり方ももちろんそうです。『理由なき反抗』からの天文台、の展開は、作品ないし映画館・スクリーン・上映といった要素ではなく――なにより映画は途中で止まってしまうのですから――、それを"入口"(言い訳、と言いかえてもいいかもしれません)にして、ファンタジックな映像やアクションを描くことが本質になっています。

私が気になったシーンがあります。1つは、ミアが店から聞こえてくるセブの演奏を耳にして路上に立ち止まる時、エマ・ストーンが行う、文字通りの"けげんな"顔の演技。
もう1つは、パーティの後、劇中で初めて二人合わせて歌い踊るくだりの直前、ロスの街を見下ろせる高台に来たミアとセブが、そこで、これもまたまさしく"ピタッと"歩みを止める、という動作です。

この2つのシーンの演出に、現代を舞台にした(現代人を登場させる)映画としてのクオリティの高さは感じません。これをOKテイクにしてるという時点である評価を断定したくなる、のですが、一方で、これは「そういう」作品だ("賭けている"ところが他の作品とは違う)、というエクスキューズなのでは?という気もしてくるのです。

さらに言えば、登場人物の(情景を含む)描写やその心情と結び付く歌や踊りを見せる、ではなく、この作品は、突然非現実的なことが始まるという要素においてのみミュージカルという手段が選ばれているように思えます。
そして、なかなか主要な登場人物が歌いません。なぜなら特定の誰かの描写をするミュージカル映画の音楽を目指していないからです(では何なのか、と言えば、夢を追う"crowds"である 大衆を/が歌っている、のではないでしょうか)。また、二人の歌には豊かなバリエーションはありません(ただ今作を踏まえて考えると近年のミュージカル映画において歌はキャラクターソング化しているとも言えるのかもしれませんが、それはまた別の問題ですね)。限られた数の歌を作り替えて作中に登場させているようです。

衣装の色使いがもし本当に「登場人物の心情を表している」のならば、それはちょっとあまりに短絡的ですよね。少なくとも映画において「赤」や「黄色」の使い方はそんな狭いところにはありません。
セットでは、例えばミアの部屋の、イングリッド・バーグマンのポスターが、彼女の引越しに合わせるように劇中から退場してしまうのも印象的です。まるで女優志望の女性を示す記号のような使われ方です(もしかしたら誰でもよかったでは?と邪推したくなります)。

先ほど触れた点に戻ると、《「非現実」 であり「ファンタジー 」であり「妄想」》という性質は、別段映画に限ったものではありません。この『ラ・ラ・ランド』という作品には、映画を「口実」には使うけれど映画でなくともよい、というようなある種の開き直りの姿勢が感じられます。それがある一部の人々の反感を買うのではと思いました。ちなみに、そういう意味で、たまたま同時期に公開をむかえた『ナイスガイズ!』は「映画がお前を救う!」という話で、『ラ・ラ・ランド』は「映画はお前を救わない」という話、と言えるでしょうか。

しかしそのような作品であっても、映画という形式を選択されています。というより――前述の言葉に続けるのなら――、この内容をこの語り口で描くのなら、映画でなくともよいが映画でしか語り得ない、といったところです。いやむしろ逆で、映画でしか使えない手法で、映画でなくともかまわない、と語っているのかも。しかもこの「映画」を「音楽」にしても「ミュージカル」にしても同じなのでは…?
というか、そういう風にこちらに評価を下しにくくするのがチャゼル監督なのです。

以前、『セッション』について、"欠点というか、行き届いていない部分が多々あるんだけど、それによって評価が下がるというより、むしろ好意をもってしまう、という、妙な映画"と書いたのですが、『ラ・ラ・ランド』も同じなんですよね…。