丹生谷貴志ドゥルーズ・映画・フーコー』を借りてちょっと読んだ。イマージュ、運動、の出来事。映画は、見られている、という点で、イマージュである。

クビキリサイクル』読み終えた。謎解きの部分を読んでる時って、…。こう、ふーんという感じになるというか…

エモーショナル・ドローイング。東京国立近代美術館
なんていうか、血のモチーフを描く作品が多かった。デフォルトなんか?あと、大きなもの、ではなくて、小さいものを何枚も、それぞれのイメージやモチーフがつなぎあわされていたりする、というのが多かった(アニメ顔で、エロマンガな絵がでかくてよかった。気持ち悪くて。ただあれは絵としてでかいっつーより、インスタレーションとしてでかかった…あの、エロマンガの擬音に注目してるのとかも面白かった。あれやっぱちょっと変だもんな。呼吸音と触るときの音(液体的な音とか擦れる音)が、表記を異ならせながら、存在していて、ある種、それらは、本当にその場面を描写するための要素ではなくて、読者に働きかけるもの、というか)。あと、人物画(って言っていいのかわからんけど)が多かった(レイコイケムラは、火山っぽいものを描いていたけど、あれは風景か?事象というか出来事というか)。
アマル・ケナウィの映像。
奉仕、されるがままの肉体とそれに巣くう植物。
桜の形の日本的さに気付いた。
ガラスの切れ目が、光を………どうしてた?どう言ったらいい、光が切れ目に反射というか、線として…区切りとして…
おそらくプロジェクターの光が、スクリーンをおおっているガラスに、一点反射されて存在していて、スクリーンに空が映し出される時、太陽のようになる。そして、本物の(?)太陽がスクリーンに登場する時、奇妙な空の風景が…
クラシックな壁紙が、劇場感をかもしだしてた…のか?
カーテンの存在。
ぼやっとした黒の突然の挿入。インスタレーションの映像が、連続性、を重視してる中で…って連続性っていうか、流動的な変化、というべきか…つーかビデオインスタレーションの音楽なんか似てたなー…
うしろに影が映って、作品の中にいるみたいになる。
ホセ・レガスピのドローイング。横顔に突き刺される針、舌、指、包丁。
母親のモチーフ、子を食べ殺したり鬼になったり。
ウゴ・ウントロ「1秒÷5時間」
S.テディ D
アディティ・シンの「鳥の言葉」。絵と絵の関係。