昨日、今日と頭使った。眠いしつかれた。楽しかった。

『波』は集中しないとほんと読めない。きつい。

保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』を買って少し読んだ。1ページ目、1行目から、力が入っている、というか、小説的なものが充実した文章になっていて、引用してもしたりない風になっていて感動する、のだけど、保坂さんが書いている通り、初めて、この連載を「新潮」で見つけて読む人にも向けられて書かれているものなので、カール・バルトの引用の後に、その文章は「よく意味がわからない」、と書いているのだけど、もちろんその後から、そういった「よく意味がわからない」文章について、意味を無理にわかろうとする、というか、あてはめようとすると言うべきかもしれない、自分がわかっている範囲の意味に引き寄せていく読み方はつまんない、と展開していくんだけど、保坂和志の読者は当然(と言って多分いいはずだ)、この、カール・バルトの文章のおもしろさ、わからない、ということのおもしろさ(その「わからなさ」はネガティブな拒否、はねのけようとする姿勢ではなく、自分の読み方や考え方、文脈?がこわされていく、というか、本当に、新しく展開していく、開かれていく感覚のことで強い興奮が伴うものだ)を知っている、わからなさ、はわからない、ということを、わかっている、しかしこのわかっている感じも決して全能的なものじゃないけどなにか、与えられるおもしろさがわかっている、ので、だから「よく意味がわからない」によって置かれるワンクッションは必要ない、と思う。そこも、小説のように(おそらく小説ならば「よく意味がわからない」系の文章はないんじゃないか?)、ぶっとばして(しかし速度があるとかでは多分なく、なにか重さ・凝縮された感じ、ということ)書いていいと思う。