洗足池。は、日蓮上人が足洗ったとこ。









『ギッシング短篇集』、ジェーン・オースティン『説きふせられて』、金井美恵子『快適生活研究』、柴崎友香『ショートカット』を買って、『ショートカット』の表題作を読み始めて(『快適生活研究』もちょっと読み出したんだけど、と言っても最初の「純な心」をパラパラ、あと「地下室のメロディー」に中野勉が出てる(あと桃子も)ということは知ってたので少しだけ読んでみたり、あとがきを読んだりしただけだ)、これが、合コンで酒を飲みながら、ワープができるとのたまう男なかちゃんの存在ならまだしも、その話を聞いた後主人公南津が表参道にワープしてしまったり(まぁ実際は違うのだけど)、そこで交通事故を目撃したり、東京と大阪で南津となかちゃんが会話しながら(ただの電話、だがしかし…)、なかちゃんは南津の心を読んだり(合コンの際の心情とか今の、南津が昔からなんとなく好きでまさに東京に来た目的にもなっている会いたい森山に対する気持ちとか)今東京で南津が見てる風景を見ているかのように説明したり(実際は前に行った経験から説明してるだけだが)、南津が会ってしまうのは森山でなくなかちゃんの好きな人だったり(しかもそれがなぜかその「なかちゃんの好きな人」だということが南津にはわかってしまう、会ったことないのに)、その後友達の実和子とその彼氏を東京に呼び寄せようとしたり(しかもなぜかその彼氏から誘い、彼氏も了承してしまう)、といったすごく不気味なことばかり起こる話だったので驚いた。

『小説、世界の奏でる音楽』は、境目の怪しさを書いていて(と少なくとも自分はそう思って読んでいて)、物質と精神、とか、選んだ未来=今の現実と選ばなかった過去=あるはずの未来(?)、とかを区別するものは、あるようでないようで…と、実際の小説や自分の体験に則しながら書いている。「ローカルな記憶回路」の重要性。大きなルールに回収されない体験や感覚。

今日肩に毛虫が乗ったーわーい。