ロブ=グリエ『覗くひと』読んでる。
幾つか引用する。
《だが写実的な意味においては苦心の作であるが、それらは真実らしさからはほとんど逸脱した完全すぎる線、まるで偶然そのものが法則に応じているかのように、慎重たらんとした結果、要するに人工的となった模様となっている。》(p37)
《近づくにしたがいマチアスには、すべて望ましいばかりか、彼には使い方がわからず、結局余計だと思われる、いくつかの付属器具を備えた自転車の精巧さが分かった。》(p84)
《(…)まるで雨か青天のことでも話すかのように、完全に無関心な――と同時に、話したことについては自信ありげに、しかしそれになんらの重要性を持たさず――態度をとった。》(p116)
《不必要な細部の説明を、事こまかに、しつこく続けたため、マチアスのほうが分からなくなってしまった。故意のまちがいをふくんだ場所の説明のほうが、まだしも彼を迷わせることはなかっただろう。事実、彼にとってその説明過剰のなかにはかなりの矛盾が含まれていないとは思われなかった。ふたりのうちひとりが、すこしでまかせに、無頓着に、《それから左》《それから右》という言葉を使いすぎる印象を何度ももった。》(p132)
《右も左も、上の棚も下の棚も同じように、コップの大きさや形、たまには色によって、さまざまな種類の正方形がつくられた。/しかし、諸所方々の細部の相違は、記憶に残るであろう。》(p130)
ここで語られているのは、同じ現象である。
まずは、細部にまで手が入り、完璧で、完全な、規則正しく整列した、整ったもの、が在り、しかしそれは、むしろその完成度がゆえに、用途なさず、価値のないものになる、無視される、ということ。これは、執拗に細かく、風景や見えているものを、それもくりかえし描くことによって、実際はその本来の捉えられているものからかけ離れて、その言葉が指し示している意味が崩壊していくようにいくように感じられるロブ=グリエの描写そのものを現わしているようだ。
そして一方で、欠損しているもの、足りなさ、間違い、が、張りつめた均衡を崩すことで、その事物を顕にする、注目させる、存在感を発生させる。自転車の故障を直しているマチアスが路上で、旧友の母とであることが出来たように。

そして、さらにもう一つ。
《金属の側がついた新しい時計は、女房と、そのつれあいのあいだの蝋引きのクロースの上に置かれ、ふたりはもうほかのところを眺めていたので、無視、黙殺され、光り輝いたまま、とりのこされていた。》(p110)
《だがそのときは、娘だけが望ましい方向を向いていたので、視線の出会いは行われなかった。その瞬間、マチアスはあらぬほう――たとえば地面や、空や、娘以外のいろいろな方向――を見ていただけである。》(p128)
《だが考えてみると、彼女が眺めているのははたして彼か、それとも――非常に広大な地域――の彼方の何者か、マチアスには分からなかった。》(p129)
前述のように、確かに目を向ける、向けられるという行為は起こりうるがしかし、それはあくまで一方的なものなのだ。作中では繰り返し、操作することができないがゆえの視線の交錯の不可能性が語られる。見つめ合う、ことなどできず、ここには、覗き、窃視しか存在しないかのようだ。

あまちゃん』ほんとおもしろい。声出して笑って見ています。ユイちゃんがリポートしてる店で、明らかに渋谷のゴールドラッシュだったのであがりました。
あと、ミズタクの役は、松田龍平じゃあないような気がする。兄貴っぽさより、どっか無責任っぽい、というか。ふと、黒沢清作品の、ある男性のキャラクターの系譜を思う。『回路』の武田真治、『アカルイミライ』の浅野忠信、『LOFT』の西島秀俊、そして『リアル〜完全なる首長竜の日〜』のオダギリジョー
あとアキちゃんが、磯野先生とか地方局プロデューサーとかヒロシ(舌打ちかましてたのは、ほんとクドカンのヒロインって感じだな)には若干強気なのぐっときます。
種市先輩が消えた今、アキちゃんの相手がだれになるのか気になる。おそらく東京編で出て来る新キャラなんでしょうけど。業界人じゃあおもしろくないしなぁ。それなら相当変わった人じゃないと、忠兵衛さんのような人?
なんかよくわからん体調すぎて、『大統領の陰謀』見ずに返してしまった…。
UNISON SQUARE GARDENCIDER ROAD』良いとは思う。ダンサブルだが、トイズファクトリーのバンドっぽさもある。
昨日のNスペ未解決事件の尼崎殺人死体遺棄事件、まじ途中で見るのきつくって、というか、頭にはてなが浮かびまくっていったんやめた。