面白い顔して面白いことを言うのと、真面目な顔して面白いことを言うのは、どちらが面白いか、というのは、好みもあるんだろうけど、後者だなぁ、と『小説、世界の奏でる音楽』を読みながら思う。「K先生の葬儀実行委員として」と「4 涙を流さなかった使途の第一信」のどちらが面白いか、どちらが自由か、と考えた時、後者の脈絡のなさははんぱないと思ってしまう。《繰り返すが、これはふつうにそうだとされている人格の次元での私がしたことではない。私にそんなことをしたという自覚はない。ふつうにそうだとされている人格の方の私は、『寓話』がもっと広く読まれてほしいという単純な動機で個人出版しただけだ。》(p174)そして後者は、小説として書かれているように思う。特に終わり方とか。こっちの方がよりすごい。
ヨーゼフ・ロートの小説を読みたい。新しい人物を小説に出すこと、は、小説の枠を広げていく、し、終りに近づいてから出すのは難しい。p73

『快適生活研究』の「純な心」を読み終える。読後感が良すぎる。面白い。いつものように、一つの長大なセンテンスに、圧縮ではなく、まるでそのまま描かれているように、長いスパンの時間が存在している(おばあちゃんと純江さん、お母さん、純子)。金井美恵子の短篇はあまり読んだことないのに気づく。