「Nobuyoshi Araki: KOSHOKU PAINTING」をRAT HOLE GALLERYで見た。たとえばこれらの作品から、下の(とはっきりいうことができる)写真がなくなり、上におかれている色だけになったら多分成り立たず、まず写真があって、それから出発した色なんじゃないかと思う。それぞれで存在することはできず、しかも相互でなく一方的な(色から写真への)よりかかりがある。写真ありきの、まじめなペインティング(女性の目や陰部に、律義に色を塗っていたり、使われている色もまた、それぞれが際立つような配置をされているから、とてもポップである)。緊縛された女性の体や、そこから放たれるように、もしくは入り込むように描かれている色たちは、写真に(写っているものに)向けて放たれその上を這いずる、好色な視線の軌跡。

高柳昌行『汎音楽論集』を読み始める。ページの数字がない。