ジャン・ルノワール『ジョルジュ大尉の手帳』、エイモス・チュツオーラ『やし酒飲み』、ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』、深沢七郎『みちのくの人形たち』、後藤明生『嘘のような日常』、『夢酔独言』、ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』を買った。買いすぎ。影響うけすぎ。で、『夢酔独言』を読んだ。すげえおもしろかった。勝小吉のむちゃくちゃな半生。この人のメンタリティを説明、言語化したりすることは不可能なんじゃないか。「気合い」ということかもしれないが、よく使われる意味とはまるで違う。
息子の鱗太郎(勝海舟)が犬に睾丸を噛まれ死にかけ医者にも見放されかけた時、「刀を抜いて、枕元に突き立てて、力んで、励まし」、「(…)思うさま、叱言をいって」「家中のやつがただ泣いてばかりいる」のを「叩き散し」、「その晩から金比羅様へ願をかけ、毎晩裸参りをして、水を浴びて」祈り、「息子は夜も昼も始終」「抱いて寝て、他の者には手をつけさせ」なかった。《毎日毎日暴れ散らしたから、近所のものが、/「今度岡野様へ来た剣術使いは、子どもを犬に喰われて、気が違ったそうな」/といいおったくれえだ。》
また、殿山南平という、一種の霊能力者みたいなのと知り合ったのちのエピソード。寄せ加持とは、まぁ、女性をトランス状態にして色々言わせるやつか…。ちなみに、すでに、この前に、南平しか(能力者?しか)できないはずの寄せ加持を、小吉は、やってしまっている…。《徳山主計が、南平に/「うちの妹を使って、寄せ加持をしてはくれまいか」/と頼んだら、南平は/「その妹御には生霊がついているから、二、三日、その生霊を離さなければならぬゆえ、金五両ほどかかる」/といったそうだ。徳山がこのことをおれに話して、おれに頼むというから、三晩かかって、その生霊を離してやったっけ。》
いつ死んでもいいと思うから、むちゃくちゃできる、と言ってしまえばそれまでだけど、そういう、ラストが決まっているからこその安定というより、まさに出来事が起こっているその瞬間に、自分ができることをすばやく決定し、即反応し行動することの繰り返し、であってだから、未来でなく常に今に向かい続けている。
あとは、江戸時代の人間の性質…前近代というか。平気でばれそうな嘘や不義理をして、ごまかしを押し通そうとする。小吉はそういった手合いには厳しいんだけど、そんな小吉も、兄に、自分が書いた手紙を、偽物だと認めさせてしまう…つまり、そういった弁の強さ(と近代の視点からは言うしかないんだけど)が通ってしまうからこそ、責任とか(それに附随するものとしての)記憶というものから解き放たれた行動がみなできるわけだと思う。ルールが現在とは異なる…。丈助の事件なども、発端はそういうとこにあるんだろーな。この大川丈助という人物も小吉的だと思う。
とりあえず小吉は、金がなくても借金して吉原に遊びにいくし、喧嘩しまくるし、息子の友人を驚かせようとしたり、交渉ごとをする時はあらゆるものを巻き込み勢いと手練手管で解決してしまうし、行動がいちいち過剰だ。そして、そういったエピソード的詳細さ豊かさ面白さが、みち満ちている。『海舟座談』とか『氷川清話』を読みたくなってくる。
あとがきの、福沢諭吉についての話もおもしろかったー。