平井玄『千のムジカ 音楽と資本主義の奴隷たちへ』を読み始めた。
グローバル資本主義という「一なる声」の絶対的な優位のもとで、牙を抜かれた「多なる声」が許容されていく。こうした音声の散乱こそ、この時代にふさわしい統治術となる。とはいえ、外への植民地収奪はもはや内への貧困に折り返された。「一」の直下には貧なる「多」が蠢いているのである。双方向なサイバー空間の中で声を採取する「国家の耳」はここに向けてそば立てられ、「音響兵器」の数々はここを目標にして投下される。新たな反乱術はこの条件の下で現れることだろう。》p65-66
スーダラ。「レイジーな抵抗のスタイル」。
シェーンベルクの言葉。《「(運命)に順応しようとする人々の叫びではなく、これと格闘しようとする人々の叫び、「闇の力」におとなしく奉仕する人々の叫びではなき、そのからくりの中へ身を投じてその仕組みを掴もうとする人々の叫び、エモーションから身を守るために眼を逸らす人々の叫びではなく、取り組むべきものと取り組むために眼を大きく見開いている人々の叫びである」。》p117
アドルノアメリカの道路の表情のなさ。そうした道路が貫通している自然の荒涼さ。
支配するものとして、統治の手段として作られ使われ聴かされてしまう音楽。が、そうした音楽にさえ、反乱し反抗する要素が紛れ込んでいる。逆に、反乱のための、抗うために作られた音楽に、支配が忍び込んでいる。これらは、音楽という地平において混在している。音楽だけでなく。
《(…)大学や繁華街という「主体」が呼びかけ合う「合わせ鏡」に石を投げて、これを叩き割るという象徴界の行為だったのではと思います。当時世界各地の騒動のなかで、デパートのショー・ウィンドウが叩き割られるということが行われたわけです。「歴史哲学テーゼ」でベンヤミンが、七月革命のさなかに時計台が射撃された事件を、象徴的に歴史の連続を断ち切る行為として描いています。それに近い。目抜き通りの百貨店のショー・ウィンドウや大学の窓ガラスを叩き割るという行動は、そういう資本主義の主体形成装置を叩き壊すという身振りの、一番分かりやすい形だったのではないかと思います。》p164
オーネット・コールマンのエピソード。《彼が書く楽譜は誰にも理解できなかった。「Dフラット」のつもりで「Bフラット」と書いたり、間違いだらけだった。彼は八ヵ月ほど、一度も遅刻せずに毎週まじめに私の家へ通ってきた。(…)〔……〕しかし私の教え方が功を奏し、彼が理解し始めたと思える信じられないような瞬間が一度だけ訪れた―それはまるで、彼の頭の中に一条の光が差し込んだかのようだった。/その時突然、彼は私を見つめると、「気分が悪い」と言って呻きはじめた。洗面所に駆け込み、十分ほど吐いていた―信じられなかった。戻ってくると彼はこう言った。/「なんてこった。すまないな、ガンサー。何がどうなっているんだか、自分でもよく分からない。でも、以前は理解できなかったことが理解できたんだ。その衝撃で、このありさまだ」/彼の目は、恐怖に満ちていた。(…)それは彼にとって何気ない日常のひとコマではなかった。脳天をぶち抜かれ、立っている足元を揺さぶられるような体験だったのである。彼は二度とレッスンに現れなかった。》p35-36
ドゥルーズペリクレスヴェルディ」シャトレについて。《(…)すなわち、音をたてる事物が音楽的なものとなる時において耳は人間の耳となるのだ、と。これら多様な理性化のプロセスの集合が人間の生成変化、現勢化の過程を構成しているのであり、(…)そうであってみれば、歴史的視点においてせよ発生学的視点においてせよ、人間性の単一性といったものが想定し得るのかどうか、我々には断言できないのである。》(p32)その音や音楽によって、人間になる、のなら、それは危険なことでもある。いかようにも変化し得るという可能性のおもしろさと恐怖。膨大な数の音楽を常に聴き続ける時。