佐々木中『夜戦と永遠 フーコーラカンルジャンドル』を読む。
第一の象徴界はあまりにナイーブすぎるということ。契約、約束はあまりに簡潔すぎる、きれいすぎる。
フロイトの「Fort-Da」(いない-いた)ゲームが、なぜ主体を人間にもたらすのか、をあきらかにするためにラカンは確率ゲームを持ち出した。つまり、偶然(のくりかえし=数の無作為な羅列)から(ルールを設けると)必然(象徴的決定=確率ゲームの場合はある種の決まりごと)が、生まれてしまう、ということ。《つまり、現前と不在の交代が織りなすミクロな言語の「音」の差異の水準が、単位ごと束ねられて可能な用法の集合のなかで決定され「語彙」の水準に上昇し、その「語彙」の水準がまた単位に束ねられて可能な用法の集合のなかで決定され「文」の水準に到達してひとつの「意味」をなすという「意味作用の生成」の過程がこのゲームのなかに重ね合わされているということである。》p68