石川忠司『新・龍馬論 維新と近代とリアリズム』読み出してとまらない。俯瞰せずにひたすら生起した出来事を書き連ねていく。
青木淳悟『このあいだ東京でね』ちらっと読んだんだけど、あまりにやばすぎたのでやめた。これは…こんなんされたら手も足も出ない。


ジョージ・ノルフィ『アジャストメント』見た。ディックで、エミリー・ブラントマット・デイモンの組み合わせだったら見るしかない。しかし個人的には、エミリー・ブラントをもっときれいに撮ってあげればいいのに…と思ってしまった。すてきなんですけど。別れ際に中指立てたりする感じとか、あー、そういうことする人ですよねー、と。
あれだけの規模と技術を持つ組織でありながら、帽子かぶっていい年したおっさんたちがやってることは、カップルを別れさせる、というチマチマ感がなんともいえずぐっときた。
ぼくときみ、だけ(のはず)の恋愛が、世界の命運(それがつまり、アメリカの命運だっていうストーリーが、いかにもという感じだけど)を左右することになってしまう、というのはまぁセカイ系で、ディックらしくないなと思い(エミリー・ブラントの、マット・デイモン自身の置かれている現状を、異常な状況の中で説明された時の、――なんてったって「運命の書」だし――、こいつやばい&自分もおかしくなりそう、というパラノイアックな状態はいかにもディックだったけど)、原作をぱらっと立ち読んでみたらどうやら違うようで(そもそもディックは「原案」みたいだし)、妙に安心したと同時に、こういう話をハリウッドのりで映像化されると、やっぱり妙に違和感がなくもなかった。
どこでもドアスタイルの空間移動はやっぱ見ていておもしろい。で、帽子とかドアノブとかのシンプルな、駆け込み状態で説明された設定は、なんかラノベっぽいんだよな。

「私に彼氏がいたらどうすんの?」的詰問を受けているデイモン氏。こうやってみるとやっぱかわいいな。この少し不満そうな(この映画でも、「眉間にしわ」がさく裂してた)、でも口元にうっすら笑みをたたえる、という淡い表情。

で、ケヴィン・マクドナルド消されたヘッドライン』をDVDで見た。

個人的には、ばか丸出しな女性記者を演じさせられていたレイチェル・マクアダムスより、ドSっぷりでラッセル先生を罵倒しまくっていたヘレン・ミレン(元がBBCのドラマだった故のキャスティングだったのか?)が素敵だったと推したい。それはまぁ、置いとくとして。
トニー・ギルロイ、がどんだけこの脚本に関わっているか、は正直不明だけど(共同脚本、というのがどういう比率なのかわからないし)、この複雑化と黒幕が解けてゆく感じは、ギルロイ節(?)を感じた。約120分の間に、戦争がもたらした悲劇・企業による大規模な陰謀・マスコミとしてのあるべき姿・未熟な記者の反発と成長・大学時代の同級生同士の恋物語、が並行して語られるのは、よう考えると聊か異常じゃないか。そんなに欲張らなくても、という気もするし、これらが違和感なく描かれて行ってしまうのもすごい。
あと、新聞社というのはやっぱり画になるな。奥行と高さ、なぜかガラス張りの壁(透視と遮蔽)、大量の人間がうごめいている、という状況がそうさせる。