ジョージ・クルーニースーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』を見た。

この映画で画像検索すると、やたらと監督風景がひっかかってくる。
というのはどうでもよくて…。
いや、やっぱり関係あるかもしれない。というのも、この映画を見ると、製作者がリベラリストかというのが嫌というほどわかるからだ。それと、政治家に問答無用に嫌悪感を抱いているかということ。いかに見かけや主張が一見してリベラルであっても(民主党であっても、革新的であっても)、その実は、アメリカ=世界の支配者という、ネオリベにすぎない。

男と女がいて、それぞれある失敗を犯す。そのミスは、政治家マイク・モリスの選挙戦にまつわるもので、戦いに悪影響を及ぼしかねないものであるゆえに、なかったかのようにもみ消すことを目論むが、結局うまく行かず、悲惨な結末を迎える。そこに、強烈な政治への不信感がからみついた描写がある。

フィリップ・シーモア・ホフマンとかポール・ジアマッティとかマリサ・トメイとか出ていて素晴らしいんだけど、、、という映画だった。

「君は自転車 私は電車で帰宅」の本チャンのPVはなぜあれなのか。と、なっきぃのソロドラマバージョンを見ながら思う。愛理だけじゃあね…。しかし来週のヤンジャン表紙といい、ほんとに今年来るかもね。