ロベルト・シュヴェンケ『ゴースト・エージェント/R.I.P.D.』見た。

R.I.P.D.ボストン分署には、保安官どころか、各時代ごとの刑事もいるのだが、西部劇だろうが、過去の、そして、現代の刑事ものだろうが、そんなものには興味はないといわんばかり――無論、「犬の骨」程度の、早撃ちの秘訣ぐらいのディテールはとりあえず描くけれども…本当に最低限すぎて、どうでもいいんだろうということは見え見え――、まるで無視して、ジェリコの塔、聖人のメダルなどのオカルトテイスト、と、世界観やルールといったSF的要素、それぞれの描写もその連関も、さして細かくもなく、伏線とその回収、といったこともほとんど行われない。では何なのか、と言えば、その場その場で起こっている事――この作品の場合、それは、「逃走劇」と「銃撃戦」のことなのだが――を、ねばりつくようなカメラワーク、「効果音」をつけたズームアップで、ひたすら追いかける。
R.I.P.D.捜査官達の外見についての、ある特徴や、スピリチュアルなものではなくむしろ現実世界ではっきりと認識できるタイプの、悪霊という存在の性質、は――もう言わずもがななのだけど――、映画という視覚が中心となるジャンルでは、相当生かせるものだったのだけれど、その捨ておかれっぷり、には、誰しも言及したくなる一種の「魅力」すらある。
ひたすら押し黙り、新たな相棒にも考えさせろと黙らせようとし(べつにうるさくない)、バディものの丁々発止のやりとりを封印する(まぁウィル・スミスでないのだから仕方がない)ライアン・レイノルズは、もっぱらその瞳で何かを語ろうとする(死してなお、恋人を見守ろうとする)が、かつての相棒であったケヴィン・ベーコンが、「何者であったか」すら見ぬけていなかったわけで、その眼力は推して知るべしといったところ。
ここで、ジェフ・ブリッジスの、一番最初のアドバイス(サングラスをずらして語ったこと)、彼の足首への執着――つい「目をやって」しまう――が、効いてくればよいのだけど、そうはならず、それはなぜかといえば、最高にキュートなメアリー=ルイーズ・パーカーが、(ミニスカートなのに)これまたキュートな白いブーツを履いているからである。一番見たいもの、が隠されているのだから、そりゃあ盲目にもなるよしょうがない、ということか。
しかしこうして責め立てたところで、シュヴェンケに逆ぎれされれば、はいはいごめんなさい紛失された帽子や庭に植えられたオレンジの木(それはボストンの冬を越せたのか、どうか)も含めて映画を魅力的に充たすことができたはずの要素を詰め込んでもそれを次々と大胆に繊細に重層的に描くことができる能力とは全く別物だしそれをやれって言われたって無理だよねごめんだっておれにも無理こんなことやれるやつは超人だよハリウッドの映画監督なんてみんなそうだよねすまんすまん、となだめすかしてやることしかできない。
出来るのは、『RED/レッド』もそうだけど、奇形で歪な「ビジュアリスト」的ふるまい、だけだろう。


ドゥルーズ=ガタリ千のプラトー』読んでいる。存外読み進められるのは、同じことを繰り返し書いてくれているおかげだ。まさかここまで、冒頭が、「本」について、の本」だったとは。


うみのて、ほんまよいな。

PVもすばらしい(いまさら)。


しかし『モンスターズ・ユニバーシティ』のハードスクラブル学長はヘレン・ミレンなのか…。ランドール・ボッグススティーブ・ブシェミ…ますます吹き替えで見る意味わからんな。


グランド・イリュージョン』、シネパレスでやんのかい。よかったー。



これ見たいな。ディズニーランドでゲリラ撮影されたという。ドラッギーなディズニー。